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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.412 2025.05.25

■黙想エッセイ

 

聖書が警告している高慢の本質は、自分の思いどおりに生きようとする横柄な態度です。「自分の主観のままに」「自分の思いどおりに」を固守する人は、神様が主であることを認めません。「高慢」に当たるギリシア語は「他の人の上に自分を載せること」を意味します。これは神様が最も忌み嫌われる態度です。イスラエルのサウル王は高慢になり、悲惨な最期を遂げました。バビロンのネブカドネツァル王は、高慢のゆえに聡明さを失い、野の獣とともに住むようになりました(ダニ 4:28~33)。聖書が語る成熟の本質は、自分勝手に生きることではなく、神様を中心に生きることです。「神様が自分をどのように見ておられるか」をまず考えるのです。
南極が最も寒い理由は、地球が公転する時、太陽から最も遠く離れた位置にあるからです。人間も神様から遠く離れて生きていれば、恵みの光を受けられず凍りついてしまいます。心が冷たくなって人をさばきます。秋の野の穀物を考えてみてください。穂は実るほど頭を垂れますが、実りのない穂はピンと立っています。神様の恵みから離れた人は自信過剰になり、虚勢を張って偉そうにしています。神様の恵みを慕い求めて謙遜さを保つ者こそ、神様が求められる成熟した礼拝者です。

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