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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.390 2024.12.22

■証し

 

私はイエス様を信じる前と後とで、何が変わったのかということについて証しをしたいと思います。信じる前の自分と比べて、物事を前向きに考えられるようになったということが変わった点と言われればその通りだと思いますし、人と積極的に関われるようになり、自分が日ごろ交わる人に興味関心持つことで、共感性をもってその人と会話を楽しめるようになったことも信仰をもってから変わったことといえます。
しかし、それがイエス様を信じることで起こったことかといわれると、少し違うように感じます。それは信じた結果、目に見える形で伴って良くなった効果だと思うのです。そして、その効果として現れるまでになる見えない日々の中で起きていたことが、私がイエス様を信じることで変わった根本的なものなのです。それは、「小さな事柄に感謝の目をもってそのことを見ることができるようになる」ということです。本当に習慣的なことが日々当たり前のように繰り返されるのは皆さんも経験しているところでしょう。朝起きれば家族と日々変わらず「おはよう」と言い、職場に行けば、仕事に取り組むうえで必要な相手と、その業務の問題点などを話し合い、雑談でよりプライベートな心許す限りの近況や最近のニュースを話題にします。そのような当たり前のようなことをどう受け止めて日々を過ごしているかこそ、私(たち)が日々変えられている心の状態なのです。
Ⅰテサロニケ;5.16にはいつも喜んでいなさいとあります。そのようなことはできないと思うのが普通ですが、自分が失敗して自分の責任を問われたりする中で、誰かに手助けや優しい言葉かけをもらい、喜べる事実があるのも現実です。その現実が信仰を持つことで、これは神様がしてくださっていること、とその一つ一つを神様と周りに感謝する形で、感謝が増え喜びの感情が継続していることを自覚するのです。それは感謝なことが数的にいくつに増えたということではなく、いつもと変わらぬ毎日、昨日と同じ人との出会いが、いつの間にか感謝と喜びある新鮮なものへと心変えられているという、主イエス様からいただく救
いの恵みによって起こされる変化なのです。

 

「神の国はこのようなものです。人が地に種をまくと、夜昼寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して
育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、初めに
苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。」(マルコ;4.26‐28)

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