■黙想エッセイ
ある教会員が私のところに来ました。彼女のご主人の事業が窮地に追い込まれているというのです。不景気になってすべての契約がキャンセルになり、銀行からの借金も返せなくなったため
、家を売らなければならないという状況でした。先が見えず、祈っても不安が消えないので、私に祈ってもらおうと思いやって来られたのでした。
私は彼女に最悪の状況を想定しながら祈るのではなく、望んでいることを祈るようにと助言しました。解約された契約がもう一度結ばれ、事業が回復するようになるなど、本当に願っていることを神に告げながら信仰によって祈りましょうと言いました。私たちは祈りながらも絶望してため息をつき、祈ったそばから心配します。しかし、信仰がなければ祈っても応えられません。神は、私たちが祈ったから応えてくださるのではなく、信じるから応えてくださるのです。祈りは神への信頼の表現です。祈りに信仰がなかったら、呪文を唱えているのと同じです。「ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」 (マゴ 11:24)。イエスは「そのとおりに」 なると語られました。神はこの驚くべき約束どおりに働かれます。祈って求めたものはすでに得たと信じましょう。
私たちが祈るとき、必要なことが4つあります。1つ目は、問題ではなく願いを具体的に祈ることです。ある人は祈るとき、神に問題を報告するだけです。いくら考えても解決方法が見えてこないので、心配ばかりして願うことは祈りません。2つ目は、 祈った後、信仰をことばで告白することです。神を信じているのかどうかは、ことばに現れます。
3つ目は、祈ったことはすでに成就したかのように行動することです。4つ目は、感謝と喜びをもって賛美することです。神は最も良いものを与えてくださる方です。祈って求めたものはすでに得たと信じるなら、神のみわざを見ることができるでしょう。