■黙想エッセイ
愛は成長するものです。密度だけでなく、対象の面でも成長します。はじめは、家族または異性程度に終わっていた範囲が少しずつ広がり、自分の目に見えるすべての人を兄弟姉妹として考えるようになります。「愛の対象が広がる」ということばをよく表している表現があります。それは「友情」 です。本能によって動く動物にも、母性による子育てやオスとメスの結びつきは見られますが、動物の集団生活は、友情というより本能に近いと言えます。そのような面で、「友情」ではなく「競争」
へと追い込まれ、「生存」だけに執着している人間社会は、日ごとに動物王国へと退化しているように見えます。友情は、どんな愛よりも自分自身の現在を見つめさせてくれます。C.S. ルイスは「私たちの関係は、社会でだれかの上司であったり、同僚であったり、部下であったりします。しかし、友人同士の関係は、それらとは違います。友情は、そのようなあらゆる関係から解放された、裸の人格が出会うことです」と言っています。
この世は「友情」の価値を軽んじ、「優劣」を造り出そうとします。このような構図の中で世に逆行して「友情」を求めるなら、それ自体がその人がまことの人間になっていっているという証拠です。十字架を通して神様と友情関係を築くことができるようになったこと自体が、神様の特別な尊い愛です。クリスチャンは、互いに友情を保つだけでなく、友情を共同体の外に広げていく責任があります。そのような友情に満ちたところこそ、神の国に近い姿です。