■黙想エッセイ
アメリカにいたとき、私はフーバーダムを訪れたことがあります。1930年代に建設されたこのダムの工事は、建築史上、画期的な大工事でした。このダムが建設されたことによって、南カリフォルニア
州一帯の各家庭に電力が供給され、美しい湖ができ、地域の経済状況もよくなりました。そのダムの入り口に立てられた掲示板に書かれていた一文が、今でも私の心に強く残っています。そこには、ダムの建設工事中に犠牲になった人たちの名前とともに、その下に「彼らがここで犠牲になった理由は、砂漠にバラを咲かせ、谷にいのちの川を流す「ためであった」と書かれていました。
この世でも、多くの人たちに益をもたらす犠牲がとても価値のあるものとして記憶され、記念されているのですから、私たちが神の国のために私たち自身を献げるならば、どれほど価値のある人生となるでしょうか。単に罪を犯さないことがきよい人生であると考えがちですが、きよい人生の聖書的な意味には、神様の働きを積極的に行う従順が含まれています。ただ罪を犯さないようにするだけでなく、きよいことに自分を献げてみてください。自分の時間と持っているものを神様の働きのために献げてみてください。伝道し、たましいを育てることに献身してみてください。罪を犯す余裕などなくなるでしょう。神様に喜ばれることを行う中で、真の喜びを感じることができるでしょう。