■黙想エッセイ
私たち牧会者は結婚式の司式をすることがよくあります。最近は、結婚式を簡素化することが流行のようになっていますが、それでも結婚式で決して外せないものがあります。それは「結婚の誓い」です。大抵の場合、新郎新婦には、「新郎○○は、生涯新婦○○だけを愛することを誓いますか。新婦○○は、生涯新郎〇〇だけを愛することを誓いますか」と問いかけられます。しかし「だけを」を「も」に変えると、どうなるでしょうか。「新郎○○は、生涯新婦○○も愛することを誓いますか。
新婦○○は、生涯新郎○○も愛することを「誓いますか」というふうにです。すると、その意味は全く違うものになります。
あなたは神様「だけに」仕えていますか、それとも神様「にも」仕えていますか。驚くべきことに、イスラエルの民は神様から離れたことは一度もありませんでした。ただ、神様「にも」仕え、他の神々「にも」仕えていたのです。神様は、このようなイスラエルの姿に対して「彼らはわたしを捨てて離れて行った」と表現されました。
信仰生活は霊的戦いです。イエス様 「だけに」仕えるか、イエス様「にも」仕えるか、この二つの覇権争いなのです。私たちへのイエス様の愛には変わりがありません。問題はイエス様への私たちの愛がしょっちゅう変わってしまうということです。イエス様を信じるということは、この方を自分の人生の主と告白し、認め、迎え入れることです。これからは、完全で真実な姿勢で主だけに仕えることを決意しましょう。