■黙想エッセイ
私たちが礼拝し、賛美し、祈り求める対象である神様はどんな方でしょうか。神様は、私たちを導き、私たちの人生の責任を取ってくださる方です。そして、過去にも全能であり、現在も全能である方です。ところが、私たちは人に自分のものを分け与えるときや、自分の持ち物を手放すときが来ると、 神様を全く知らない人のようになります。そのようなとき、自分に残されているものは何であり、どれほど持っているかを数える前に、まず 「全能である神様と自分は、どのような関係にあるだろうか」と考えてみるべきです。神様が人生を祝福してくださり、日々、ともにおられるなら、人生が豊かに満たされることを期待することができます。神様は目に見えませんが、だからこそ目に見えるものよりも信頼できるのです。目に見えるものはいつかなくなりますが、神様はだれにも奪われません。ですから、人の必要を満たすために自分のものを分け与えることは、最高の信仰告白なのです。
自分の持ち物を隣人に分け与えるとき、神様の全能の力を疑うべきではありません。神様がみわざを起こされるのは、過去のことだけでしょうか。神様は今も変わらず全能の方です。その力あふれる神様からすべてを与えられている私たちは、決して乏しくなることはありません。ですから、いくらでも分け与えることができるのです。