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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.340 2024.01.07

■黙想エッセイ

 

イエス様は全世界の統治者として来られましたが、決して力で人々を圧倒することはなさいませんでした。自分を拒んで殺そうとする者たちに対して、ご自分の力を立証することもなさいませんでした。神の国は、力で支配して君臨する国ではないからです。そのようにするのは、ローマ帝国のような国です。「ローマの平和」(Pax Romana) は、強力な力の下に屈従するときだけ享受できる、息をひそめた平和です。屈従しか許されない偽りの平和です。
しかし、イエス様の平和は、自由と安息、愛と赦しの平和です。最も力のある者が自分の力を捨てることにより、最も高い所にいる者が低い所に下って仕えることによって生まれる平和です。それは、最も大きなさばきの権限を持っておられるイエス様が、罪人の代わりにご自分のいのちを差し出し、最も大きな赦しによって成し遂げられた平和です。
イエス様を信じて従う私たちが、イエス様のように王である祭司として仕えて生きるなら、この地に神の国の平和が臨むでしょう。それは私たちの家庭から、私たちの教会から始めることができます。もてなしを受けて当然だと思っている人、この世の伝統や慣習によってほめたたえられている人が、低い所に下りて最も力のない者の席に座るとき、その家庭と社会と教会は平和の共同体になります。そして、その真ん中にイエス様が平和の王として来られ、統治されるのです。

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