■黙想エッセイ
信仰は「真理に基づいて考える」ことです。ここで「考える」とは、願いを叶えるために全力を尽くすこととは異なります。そのような人は、自分が求める結果を手に入れるためにやみくもに熱心になって、求める結果を与えてくれそうな人や物に仕えます。一言で言えば、「至誠天に通ず」 ということわざを実践することです。
「信仰の深さ」は、いかに「熱心に」奉仕するかで決まるのではありません。人間の本性は宗教の本質を「超越」して、信仰の本性を「熱心さ」に置こうとしますが、これは間違いです。信仰は、私が望んでいるものを成就させるために超越的な力を奪って来ることではありません。信仰とは神様を知り、神様が喜ばれる者として自分を整えていく作業です。しかし、私たちは、信仰によって自分がしたいことをするために神様のみこころを動かそうとします。それは単に熱心なだけです。
信仰とは、「神様は何を喜ばれるか」「神様はどのように働かれるか」を考えながら、神様のみこころとご性質を正しく知っていくことです。信仰とは、何かを成し遂げる技術や方法ではありません。この世の空しさやあらゆる試みと脅威に屈することなく、神様の導きに従って聖さを積み重ねていくための私たちの分別と眼識なのです。