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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.321 2023.08.27

■黙想エッセイ

 

かつて私は「主とともに歩むためには、苦難の道を歩まなければならない」ということばが嫌いでした。「そんなことを聞いて、だれがその道を歩むだろか」と心配したりもしました。ところが、ある日、D.L.ムーディーが書いた著書の中で、このような話を読みました。「ある老人が友だちと一緒に山に登ることになったのですが、なかなか頂上にたどりつかず、雨風が吹いてきました。すると、一緒に登っていたほかの人たちがガイドの人に「もうあきらめましょう。もう一度山のふもとに連れて行ってください」と言いました。すると、ガイドの人は「私たちはもうすぐ嵐の上に上がりますよ」と笑いながら言いました。そのことばを信じて登り続けていると、本当に夏の日の夕暮れのような静かな場所に着きました。
谷底では激しい嵐が吹きつけ、雷鳴が鳴り、稲妻が光っていても、頂上はガイドの人が言った通り、とても静かだったのです。サタンの妨害により四方が真っ暗に見えても、神様のことばが示す道を登り続ければ、いつかその闇は消え去ります。ですから、主を見上げて歩む苦難の道は、実はとても幸いな喜びの道であることを信じてください。福音のために飢え渇き、苦しみの涙を流す時間は、決して無駄ではありません。神様はみこころを必ず成し遂げられます。このような信仰の目が開かれれば、苦難にあったとき、むしろ喜ぶことができます。「主のみわざを見させてくださり感謝します。主が成し遂げてくださると信じます」と告白することができます。

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