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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.303 2023.04.23

■黙想エッセイ

 

私たちの人生の勝敗は、神様に認められるかどうかにかかっています。神様がどんな方であるかを知らなければ、神様に仕えると言いながらも、結局は偶像礼拝をしていることになります。 ですから、神様を知ろうとする熱意が必要です。私たちが聖書をずっと黙想し続ける理由は、神様がどんな方なのかを知らなければならないからです。信仰は、「神様を知っていく旅」 とも言えます。
しかし、私たちが神様を知っていることよりも、神様が私たちをよくご存じであることのほうが重要です。神様は、私たちの名前だけでなく、事情や考え、人生のすべてを知っておられます。そして各個人を細かく評価された後、義人と悪人に分けられます。私たちは、世俗化した反キリスト教的な文化の中で生きています。文化的な濁流がひどいこの時代、神の子としてのアイデンティティをしっかり持っていなければ、
私たちは風に吹き飛ばされる籾殻のように、どこかへ吹き飛ばされてしまいます。毎朝、神様の御声が自分の心の中ではっきり聞こえるかどうか確かめてみましょう。また、自分はだれに認められようとしているのか点検してみましょう。最終判決を下されるのは、神様です。 神様は、私たちがみことばで人生の重心を取っているかどうかをご覧になって、成功と失敗を判断されるでしょう。

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