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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.296 2023.03.05

■黙想エッセイ

 

バンクーバーの教会で牧会をしていた頃のことです。 昼間、電話のベルがけたたましく鳴りました。電話をかけてきた女性は、夫がカナダに来て家を用意し、子どもを学校に入学させた後、職場の都合で韓国に帰ってしまったので不安でどうしたらいいのか分からないと言いました。家長だけが韓国に残って
働き母親と子どもたちは仕送りをしてもらっている家庭や移民者の中で、多くの人がこのように得体のしれない不安にたびたび襲われます。不安は恐れを引き起こす闇の力です。不安は、自分の手に負えないことに対しては拡大レンズとなり、自分のそばにおられる神様に対しては縮小レンズになります。天と地を創造された偉大な創造主を、私たちはなぜそのように小さくしてしまうのでしょうか。
ダビデは拡大レンズも縮小レンズも使いませんでした。背丈が3メートルにもなる巨人のゴリヤテを、戦いに長けた 「人間」として見、神様を「万軍の主」として見ました。
彼は、敵も神様もそのまま受けとめました。ダビデが非現実的な信仰を持っていたのではなく、不安に陥っている私たちが非現実的な観点を持って生きているのです。恐れは非現実的な恐怖心によって、イスラエルの戦闘能力を失わせました。反面、非現実的に見えた一人の羊飼いの少年の信仰は、最善の努力と神様の恵みがともに働いて、現実的な結果を生み出しました。恐れは私たちの人生を導いてくださる神様を疑わせ、世に対して恐れを抱かせます。日々、信仰によって歩む人生において抱く恐れは、過剰な包装で膨れ上がった見かけ倒しの偽りの信仰なのです。

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