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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.295 2023.02.26

■救いの証「 私に起こったキリスト・イエスとの出会い」③

 

出産をまじかに控えた臨月の頃、「子どもが生まれてからも、金銭的にも、家事育児も、ほとんど私が背負っていくことになるのだろうか、はぁ~」とため息をつきながら、浅草5丁目当たりの桜の木の下を歩いていると、後ろの上の方から、「そのくらいしてあげなさい」という、おばあさんのような小さな声が聞こえてきました。「えっ?」と振り返っても誰もいませんでしたが、なんだか、マザー・テレサに言われているように思いました。
その言葉に励まされ、その日は少し元気が出ました。その晩、夜中12時頃にふとテレビを点けると、なんと、マザー・テレサが画面いっぱいに映っているではありませんか。「あ~、今日お昼に聞いたあの声は、やっぱりマザーだ!」と思いこんでしまいました。その番組の中で、「マザー、あなたは何故、死にゆくしかない人をわざわざ助けているのですか?」という質問がありました。私もそこは何故かな?と思っていました。
どうしてマザーはその人たちに触れられるんだろう。キリスト教の教えで良いことを頑張ってされているのかな、くらいに思っていました。ところが、マザーの答えは想像と随分ちがっていました。「私が死にゆくしかない人を助けると、最初はその人の目は濁って死んでいるような目をしているけれど、看病をしていくうちに、その死んだような目の中に、光が見えることがあるのです。私は、その光が見たくて、やっているのです。」と答えられていました。自分も今、お腹の中の赤ちゃんの目の光が見えることを思う、そういう光をみてみたいなと思いながら涙が流れてびっくりしました。
その後子どもが生まれ、三ノ輪にある保育園に入園しました。そこは戦後できた教会の保育園でしたが、そんなことはよくわかっておらず通っていました。いつも疲れて母親の優しさに欠けている私に、夫が「保育園でクリスマスの礼拝があるから、娘を連れて行ってきなさい」と言うのです。変なの、と思いながら娘を連れて行きました。保育園がろうそくの光できれいになって、ハンドベルの演奏が安らぎを与え、初めて教会のクリスマスを体験する、ということもありました。ホープチャペルの扉を開けて入れたのには、このような神様の計らいが少しずつあったので、教会なら大丈夫、と、躊躇なく扉を開けたのだと、振り返るとそう思います。
受洗後は、その頃、出エジプトを読んでいたせいもあるのか、狭く汚れた住まいから脱出して、家族に平安が与えられる地へ引っ越すこととし、現在の住まいへやってきました。ここからは、またまた波乱万丈のストーリーがありますが、それは、またの機会にお証ししたいと思います。ハレルヤ!(上原 温子)

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