■ 御翼の陰で
主のみ名を賛美します。妻が召されてから2年が経ちました。孫と同居しているので毎日楽しく過ごしています。また、長女に3人目、次女に2人目の命が宿りましたので、夏には5人の孫を持つ身となります。こんな時がいつかは来るだろうとは思っていましたが、いざその時になるとこそばゆくなります(笑)。妻の介護・看護のことを思い出すと、確かに大変でしたが何よりも冷静で平安だったと思い、感謝なことだったと思っています。
ある時、「平安」というタイトルで絵画のコンテストがあり、2つの作品が残ったそうです。一つは静かな夜、木に囲まれた湖の上に月の光が反射している絵でした。波一つない鏡のような美しい湖なのでいかにも平安という感じがします。もう一枚は(聞いたことがあると思いますが)大嵐で稲妻もゴロゴロ光り、海の波が崖にぶつかって波しぶきが高く舞い上がっています。ふと見ると、親鳥がひなをぎゅっと抱きしめ、ひなは平安な顔をしています。
前者は「きよしこの夜」の♬~sleep in heavenly peace ♬の平安であり、†もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない†(黙示録21:4) 平安と言えるでしょう。でも石ころ一つ投げ入れるだけで水面はざわついてしまいます。後者は毎日の暮らしにある平安です。昨年の漢字は「戦」でしたがまさに戦いの毎日です。聖書は†世にあっては苦難があります†(ヨハネ16:33)と日々の生活には苦難艱難は起こると明言しています。一方で「シャローム」というのと一見矛盾しているようです。でも続けて†しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました†(同)と解決策を提示しているのです。この聖句は、私が初めて聖書を通読した時に、頭を強く打ちこわしました。如何に楽をして生きて行こうかと考えていた自分の甘さにグッと迫ってきたのです。
最近、知り合いやご家族が亡くなったり、病の床に臥せっているというので祈りの要請がきます。そんな時「主の癒しの御手が伸ばされますように」という祈りに加え、同時に「ご本人もご家族も、苦難の中でも平安でおられますように」と祈るようにしています。年初に「いい年になりますように」と祈りますがそれでも苦難艱難は避けられません。そんな時でも主の御翼の陰で平安でいられますように、と自ら言い聞かせながら歩んで行きたいと思います。(風間 真也)
†主は、ご自身の羽で、あなたをおおい あなたは、その翼の下に身を避ける。†(詩篇91:4)