■ 黙想エッセイ
人として来られたイエス様は、背丈が伸び、知恵が増し、あらゆる面で成長していかれました。クリスチャンは、神様がともにおられるので、神様の知恵を自分のものにできる特権があります。私たちは神様を恐れ、イエス様に似ることを目指して歩まなければなりません。神様の知恵があれば、主のみこころと私の思いがぶつかったとき、意地を張ることなく自分の思いを手放すことができます。すなわち、主が喜ばれる最上の価値のために、自分にとって最上のものを手放すことができるのです。この優先順位を確かにし、自分の選択に責任を取ることが成熟した態度です。
主を信じる者のうちにおられる聖霊は、私たちを山の上に連れて行き、下を見下ろすようにされます。主を信じていない人々が関心を示さない領域、見上げることのできない地平、目に見えない超越した世界から現実の世界を見下ろす視点を持たせてくださるのです。ですから、人生の航海で嵐にあって難破しそうになったときや、険しい世の中でどうしたらいいのか分からないとき、学んだ
こともないことを任されて戸惑うとき、神の子どもたちは安心することができます。もし知恵が足りないと感じたときは、豊かに与えてくださる神様の御前に進み出ましょう。そうすれば、知恵の源であられる主にあって平安を味わうことができるでしょう。