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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.280 2022.11.13

■黙想エッセイ

 

サッカーの監督の中に、選手たちにフィールドで90%だけ責任を取るようにと言う人はいないでしょう。新郎が新婦に「大部分、あなたに献身します」と誓う結婚式も、一度も見たことがありません。また、社長が社員に「5分の1ぐらい努力しなさい」と言うのも聞いたことがありません。
ところが、人々は大きな責任が伴う道に、中途半端な態度で入ります。その結果は残酷です。道が大きいほど、心を尽くさなければなりません。つまり、自発的に損をし、自分の安定をあきらめ、自分の生活の規模を小さくし、自分の時間を明け渡し、自分の罪を告白し、自分の高慢を捨てるのです。神様が開かれた道に入るためには、いつも心を尽くさなければなりません。「心を尽くして」という表現は、犠牲になるという意味です。一つのことに対して全く責任を負うためには、もう一つのことをあきらめなければならないのです。
神様が皆さんの前に開かれた道は、皆さんが期待しているものとは違うかもしれません。どの道に進むかということより、その道にどのように入るかということのほうが重要です。開かれた選択の前で、心を尽くして決意しましょう。神様の愛を信じ、恐れないで進みましょう。十字架という開かれた道の前で、全き献身と責任と犠牲を見せてくださったイエス様のように。

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