■黙想エッセイ
ブラジルの小説家パウロ・コエーリョは、『流れる川のように (Like The Flowing River)』 という散文集の中で 「鉛筆は書いているうちに動きを止めて、身を削らなければならない時もある。その時は痛みを伴うけれど、とがった芯になった鉛筆は文字をきれいに書くことができる。あなたもそのような痛みや悲しみに耐え抜く方法をぜひ学んでほしい。そうすれば、きっと今より素敵な人間になれるだろう」 と言っています。
彫刻家は、傑作を生み出すために石を砕いたり彫ったりして形を整えていきます。
石の立場からすると、ひどく痛み苦しいでしょうが、その過程を経ない限り、芸術作品は生まれないのです。神様はまさに、私たちの人生の彫刻家です。ローマが一日にしてならないように、人も一日では造り上げられません。困難にあうことを好む人はいませんが、困難に耐え抜くことで、人は内的にも外的にも成熟していくのです。
そして練られた品性が希望を生み出します。聖書で鍛錬という言葉は、「試みる」「練る」「精錬する」とも表現されています。人に対してこの単語を使うときは「わざわいを通して高貴な性質へと成熟させる」というふうになるでしょうか。
鍛錬の目的は、私たちが実を結ぶためです。温和で節制し、愛し、感謝し、抱擁できる麗しい品性へと練りきよめ、祝福を受けるためです。そして、神様に栄光を帰す生き方をするためです。鍛錬は人を銀や金のような存在に造り上げる効果があります。神様がご自分の栄光のために用いる器として練っていかれるのです。