2022.09.25
■黙想エッセイ
貧しさにあえいでいる人が神様に祝福されることを願って、「明日、私に富を与えてくださるなら、明後日、それを主のためにささげます」と祈りました。それに対し、神様がその祈りが真実である証拠を見せてほしいと言われたとしたら、何と答えるべきでしょうか。それは、「今日」どのように行うかによって示すべき
です。
あなたの告白が真実かどうかは、今日の行いを見れば分かるのです。今日の小さな従順が明後日の従順をも証明するからです。何もなくても神様を喜び、神様に献身する今日の歩みが、明後日の人生を証明するのです。今日、何か起こらなければ、自分の人生は栄光とは無関係だと考え、明日、何かが起こったら、それによって神様に栄光をささげる人生を歩むと言う人がたくさんいます。
しかし、誠実な人は「今日がその日」であることを信じて、主と交わり、主に栄光をささげます。
神様が祝福してくだされば、何もない一日でも主とともに偉大な日にすることができます。何かを手に入れた後に神様に栄光をささげますと言うのではなく、何もない今日、神様に栄光をささげ、あなたが払うべき代価を払い、主の主権を認めましょう。日々そのように歩みつつ、祝福された明日と明後日を切り開いていくのが信仰者の人生です。みことばを通して神様と親しい関係を築くなら、霊的に鈍かった今日という日が偉大な日に変わります。日々、そのように神様とともに歩むなら、自分も知らないうちに偉大な主のみわざに与っていることでしょう。