■黙想エッセイ
神様のことば通りに生きようとすると、みことばが現実と全く合っていないことばかりのようで、不信仰になることがあります。そのようなときは、神様が示される通りには生きられないと思うようになります。神様のことばが正しいとは分かっていても、現実的にそぐわないと感じるからです。
「牧師先生の説教は、現実的ではありません。現実を知らないから、そんなことを言うのです」と言われることがあります。そのように言う人は、神様が様々な環境や出来事を通して語られても、自分の考えと合わなければ信じようとしません。
神様のご計画を人間の考えによって推測するなら、答えは出てきません。
人生は選択の連続であり、何を選択するのかが重要です。神様のことばに従う選択をすることは、不安定に見える場合がよくあるので、人々は安定的だと思う道を選択します。もし、あなたが自分の力で十分に生きていける道を探し求めるなら、そこは良い安全な場所ではありません。神様なしに生きられる所ほど危険な場所はありません。今の時代は、経済力を最優先に考える論理が行き渡っています。お金は現代社会の絶対的な偶像です。私たちはそのことをよく理解し、神様を最優先にして従わなければなりません。神様もこの世も手放したくないとしたら、それは神様に従わず、世と妥協することです。信仰は、神様のことばに基づいて選択し、決断することなのです。