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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.267  2022.08.14

■黙想エッセイ

 

私たちがよく思い違いをするのは、人生がうまくいき、問題が解決する人は神様がともにおられる証拠であり、祝福されていると考えることです。祈れば応えられ、願いが叶い、マイホームを持ち正社員として採用され、有名な大学に入り、経済的にも健康的にも欠けるものがないことが祝福だと考えるのです。
だれが祝福と順風満帆をこのように定義したのでしょうか。自分の求めている順風満帆は神様の目には不幸かもしれず、実は自分の考えている不幸が神様の御前では順風満帆なのかもしれません。公生涯の間、イエス様の人生は順風満帆と言うには程遠いものでした。いつも敵の陰謀があり、最終的には苦しみと恥を受けて十字架につけられました。つばをかけられ、頬を打たれることもありました。しかし、神様はイエス様をよみがえらせました。イエス様は天に昇って神様の右の座に着いておられ、いつか私たちのさばき主として再臨されます。
イエス・キリストに対する神様のみこころは、失敗したのでしょうか。いいえ、神様は勝利されました。十字架につけられて死なれたイエス様の前でサタンが勝利の歌を歌っていたとき、神様はイエス様を墓から救い出しよみがえらせました。神様はイエス様の御名を呼ぶすべてのクリスチャンに同じように働かれます。
神様だけが私たちの人生の順風満帆と不幸を定義されます。今は分からなくても、私たちに対する神様のご計画とみこころは必ず成し遂げられるのです。

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