■黙想エッセイ
私たちは、「改善」と「新生」(永遠のいのち)の違いについて、はっきりと知らなければなりません。私たちは、イエス・キリスト以外のもので栄光の恵みに与ることができると思い違いをすることがあります。イエス様のもとにやって来た金持ちの青年も、自分が何をすれば永遠のいのちを受け継ぐことができるのかと尋ねました (ルカ18:18)。私たちも主に対して、このような過ちを犯しがちです。「何をすれば私は満たされるでしょうか。 何をすれば私は霊的に成長できるでしょうか。私がもっと尊い存在になるためには、何をしたらいいでしょうか」という具合です。このような質問はすべて「改善」を意味します。
しかし、何かもっとすれば救いに近づけると考えることは、間違っています。
「新生」は「改善」ではありません。永遠のいのちを得ること、すなわち新生することは、自分の現状に何かを足して自分の自我をアップグレードさせることではありません。むしろ、十字架の上で死ぬことです。改善ではなく、死んでもう一度生まれ変わることが、永遠のいのちなのです。
恵みとは、私たちの人生の足りない部分を埋めるためのサプリメントではなく、土の器のように弱くて取るに足りない私たちの人生をすべて覆ってくださる神様の御力なのです。天の栄光に満ちた家族に加えられることは、ただ神様の恵みによる奇跡なのです。神の御子であるイエス様と一つになるという名誉ある招きを謙遜に受け入れ、天の都へと進んで行くことが、私たちの務めです。