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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.253  2022.05.08

■神様の答えの証①

 

最近、私が中学生の頃から長年悩み祈ってきたことに対する神様の答えをいただきました。私は中学生くらいの頃、性格占いなどにも影響され自分の性格を悪く思うようになりました。人の評価によって、性格のことは悩まなくなっても容姿のことを気にするようになるなど自分のコンプレックスを克服したり新たなコンプレックスができたりを繰り返していました。自分を好きにならないと人のことも好きになれない、自分に自信を持ち自己肯定感を高める必要があるといったことを見聞きして、自分を愛し人のことも愛せるようになることはみこころだとも思っていたので、そうできるようにずっと祈り求めてきました。しかしなかなか与えられず、自己肯定感を人からの評価を土台にしていたために崩れてしまう経験を何度もしてきましたが、今年の1月になってそのことで自分がどうしようもなく崩れてしまったような経験をしました。そして、神様の答えは「yesかnoか待て」ということを聞いたことがあったのを思い出し、自分を好きになるという願いに対する神様の答えはもしかしたら「no」なのかもしれないと思い、そんなことは認めたくありませんでした。
しかし、与えられないものを求め続けるより、もう神様の答えをただ知りたいと、聞く姿勢になってから、神様は私の思いを超えた本当に最高の答えを与えてくださいました。
大きく分けて2つのことを教えられましたが、一つは、「自分には愛がなくて神様が愛である」ことです。以前、神様が太陽(光)で私達はそれをうつす月ということを知って喜びが湧き上がりましたが、今回、神様が愛で私達は愛でないし愛にならなくていい、神様にとどまり続けることで愛せる、とどまらなければいつになっても愛せない、神様は自分が知らない自分の罪深さの全てを知ったうえで、愛してくれたし愛し続けてくれるということを教えられ、さらに喜びが増しました。自分や人を愛することを求めてきましたが、自分を愛する愛さえも自分にはないのだと、でも愛してくれる神様を見ていれば良いだけというのは楽で良いなと思いました。(高橋 玲)

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