■黙想エッセイ
神様の活動の場であるこの世で、神様がご自分の本質を最も克明に現されたのが十字架です。十字架を通して私たちは神様に出会い、自分自身に出会い、本当の意味での新しい人生を始めるのです。イエス様は私たちのために、その希望の扉を開けるために十字架を負われました。破滅以外に選択の余地のなかった私たちの運命の重荷を代わりに負ってくださったのです。ですから、私たちは十字架を通して神様を愛するように定められた私、神様に愛されている私に出会うことができます。
「神様に愛されている子ども」としての自分の存在に気づくのです。 道徳的な変化よりも先に、 アイデンティティの変化が起こるのです。 私たちが十字架を通して対面する 「私」は、神様ののろいの中にいる私ではありません。 罪の奴隷として生涯を送るように生まれてきた私でもありません。一生、 人々と争いながら生きるように召された私でもありません。無意味で空しい生涯を送るべき私でもありません。私たちは、平和のために生まれた者であり、仕えられるめではなく、仕えるために生まれたのです。
私たちが十字架を通して出会う自分は、神様によって赦された私、神様に受け入れられた私、神様と和解した私、神様の良い働きのために召された私です。ですから、十字架の陰の下にある赦しと和解、安息に入ってください。そこから新しい人生が始まります。