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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.243  2022.02.27

■祈りの恵み

 

「まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに 入ることはできません。」(マルコ10:15)

我が家では毎週できるだけ家庭礼拝を持つようにしています。夕食のあと、賛美し、短く御言葉と祈りの時間を持ちます。聖日の教会学校でもお兄ちゃんやおねえちゃんたちの祈る姿を見ていることで、6歳の娘も最近少しずつ祈るようになりました。もちろん、祈りといっても「お友達と楽しく遊べますように」といった短い祈りです。でもその姿を親として見る時、本当に嬉しい気持ちになります。同時に天の父である神様も私たちの祈る姿を同じような眼差しで見ているのだと思わされます。
先日、娘が保育園から帰ってくると泣いていました。理由を聞いてみると、保育園の隣の公園でお友達と一緒に遊べるようにイエス様に祈りながら遊んで待っていたそうです。しかし待っていてもお友達は誰も来ず、遊ぶことが出来なかったため、「イエス様に祈っても答えてくれなかった」と泣いていたのです。私は何と言おうか迷いつつ、「イエス様がいつも答えてくれるわけではないんだよ。でも祈って答えられたこともあるじゃないか」と諭しました。しかし娘は泣くばかりです。
私は心の中で祈りました。「イエス様、娘の都合の良い祈りかもしれませんが、どうか答えてください。あなたの御名が損なわれてはいけないです。幼い娘があなたに失望することがないようにしてください。そして娘が祈るのをやめず、祈り続けるようにしてください。お願いします」。翌日の朝も同じように祈りました。
娘にもまた祈ってみるように伝えました。
するとその日の夜、「今日はお友達と保育園帰りに遊べたよ」と教えてくれました。翌日の祝日に家族で水族館に出掛けた帰りも、娘は楽しかったようで「今日もいい日だった。イエス様が楽しい日にしてくれた」と告白していました。少しずつ、日常のささいなことでも、祈ることを覚え始めた娘の姿に感動を覚えました。そして、そのような幼子の祈りに答えてくださる主の御名を賛美せずにはいられません。アーメン。(井上圭)

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