閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.206  2021.06.13

■証し②-

 

そんな中、妻は自分なりに考えたのでしょうか。朝、顔を拭いては「ありがとう」、テレビをつけては「ありがとう」、手足をさすっては「ありがとう」と、どんな些細なことでも「ありがとう」と言ってくれたのです。訪問看護師さんも「ちょっとしたことでもありがとうと言ってくれるので励まされます。ホッとしてやる気が持続します。ありがたいです」と言ってくれるほどです。
それにつられて私たち家族も、洗濯物を取り込んでは「ありがとう」、ゴミを捨ててもらって「ありがとう」、物を取ってもらって「ありがとう」等々、どんな些細なことでも「ありがとう」と言う習慣が身につきました。小さなことかもしれませんが、まさに「すべての事について感謝する」(Ⅰテサロニケ5:18) 習慣を遺してくれました。
残された私たちは在りし日のことを思い出しては思い出を語り合います。お墓が近いので毎週のように訪ねています。
今までの8年間、この労苦と忍耐によって練られた品性が身についたでしょうか。(ローマ5:3-4)
そしてこれからの8年間は希望をもって、「うしろのものを忘れ、前のものに向かって」(ピリピ3:13) 明るく元気に歩むことが故人もそして神様も喜んでくれるのではないかと思う今日この頃です。
(風間 真也)

閉じる