■救霊の動力を読んで①
何のために弟子大学で学ぼうとしているのか、ということが分からないまま弟子大学一学期に進みました。もちろん神様の事を知りたいという気持ちではありましたが、それは私の思いであって、私自身が神様から召されているとは思っていなかったのです。
この"何のために"が、『救霊の動力』という小難しい本を読んで朧気ながらわかってきたような気がします。
私は神様からの一方的な恵みによって、罪の許しと新生の恵みについて体験することができた。私の受けたこの恵みを人々に受けさせるために、召されたのだということ。
それは神の恵みを見、聞き、知るものでなければならないということでした。
それでは何をすればよいのか、
- 自らの罪と自らの必要を自覚させ、人々が必死で追求しているこの世の富と名誉とが非常につまらないものだと悟らせること
- み言葉による、光を与えること
- 悪魔の支配から離れ、神のみもとに帰らせること
- 罪の許しを得させること
- 「キリスト・イエスにあって造られたもの」とされる恵みを受けさせること(上村裕子)