閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.158  2020.07.12

■usako

 

多くのみなさんは、電車のなかでディボーションをしていると聞いています。しかしながら、私が電車に乗っている時間は短くディボーションするには足りません。そこで、電車のなかでできることは何かな?と考えたとき、電車に乗り合わせたみなさんの祝福を祈ることはできると思いました。思いついてからはほぼ毎日お祈りをするようにしています。他の事に気をとられてできない時もありますが…
そうしているうちに私にいろいろな気付きが与えられました。例えば、電車に乗り合わせたみなさんの今日一日の祝福を祈ります。でも、なんで今日一日と限定するんだ?ずーっとの祝福をお祈りすればいいじゃないか。祝福してくださるのは神さまなのに私が祝福の量を決めようとしている。
また、祈りの最後には必ず私もこの方々と同じ祝福を与えてくださいと祈る。けれども自分の祝福は後回しでもいいのではないか?そう思ったとき、内藤洋子さんの「私は一番最後でいい」と言う歌詞が浮かび、自分自分と言わなくても私が思う以上の祝福を神さまはくださっていると改めて思い知りました。

今は、「いつかこの方々の上に御言葉の種が蒔かれる時、大勢のクリスチャンが積み重ねた祈りにより、みなさんの心が柔らかな土壌となり御言葉を育んでいくことができるように」と祈っています。ほんの数分の祈りが私の心をも成長させてくださっていることに感謝です。(usako)

閉じる