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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.134  2020.01.26

■【洗礼への導き】証前編  石川 達

 

私が初めて教会へ行ったのは49年前のこと、郷里沖縄の日本への返還が正式に決まった1971年の秋のことでした。当時、私は、父の留学先であるアメリカ、テネシー州のナッシュビル市で父、母、二人の妹と過ごしていました。沖縄返還の調印式が行われた日、テレビのニュースでそのことを知った大学の日本人関係者の皆さんが自宅を訪れ、父と母に「おめでとう」と言われたのを今でも覚えています。当時のアメリカは、今のような日本企業の進出はまだなく、どの都市にも日本人学校がない時代でした。そんな中、私は、現地の小学校へ通い、現地の子供達と同じようにリトルリーグ(野球)、アメリカンフットボール、バスケットボールのチームに参加し、すっかりアメリカの小学生として過ごしていました。
そんなある日、我が家にアメリカ人の女性の方が伝道に来られました。イエス様のことを知ったのはその日が初めてです。伝道に訪れた女性の方の明るい笑顔と優しさにひかれ、次の日曜日に生まれて初めて教会に行きました。そうすると、牧師先生が固く握手をし「サトシは沖縄出身なんだね。沖縄の復帰が決まったね。おめでとう。」と言われ、礼拝では、集まった多くの方を前に、私が本土復帰が決まった沖縄の出身であることを紹介し、私、家族、そして沖縄の皆さんのために復帰を祝福し祈りましょうと言われたことを、今でも鮮明に覚えています。当時のアメリカは、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功した明るいニュースもありましたが、ベトナム戦争が激しさを増し、世相が張り詰めているようでした。そんな中、郷里の沖縄の復帰が決まったことを、心から喜んで良いのかと感じ、渡米する前の沖縄のことを思うと、自分は日本人なのかアメリカ人なのか宙ぶらりんな存在だとも感じていました。個人の生き方のすべてが国に縛られるものではないと思いますが、子供なりに自分のアイデンティティーがどこにあるのかと思い悩みました。そんな中、生まれて初めて訪れた教会で、牧師先生に祝福されたことは、心に光を与えてくださったような何とも言えない嬉しさを感じたのを覚えています。(石川 達)

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