閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.131  2020.01.05

■清家 明子

 

私の母は、今年93歳になります。私の故郷の北九州市の老人施設で暮らしています。その母が、2019年10月6日洗礼を受け、神様の子供となることができました。母の救いを祈り始めたのは去年の冬ごろだったでしょうか。私が、母の住んでいた家を退去するために、休みを利用して時々荷物の整理をするために北九州に帰っており、その時に私が行く教会として、西田先生にお尋ねして行き始めたのが、折尾クリスチャン・チャーチという教会でした。その時には、まさかそこが母の母教会になるということは想像をしていませんでした。というのは、母はキリスト教に対して、あまり良い印象を持っていないという認識だったからです。
私が母の家を片付けている最中に、母がお世話になったご近所の方々とお話をする機会があり、その話の中で、以前とても長く信仰していた仏教の宗教を、母はもう信仰していないということを知りました。自分が死んだときには、実家の宗教で葬儀をしてほしいと話していたことを知りました。私はその時、こだわりがあるわけではなさそうなので、キリスト教式でも良いのかな?となんとなく思いました。また、母が住んでいた家を明け渡す前に見せるために、連れて行ったときに、母の変化がまたありました。家に帰ると、必ず何はともあれ、仏壇に手を合わせていた母が、仏壇のところに行かないのです。たしかにこの時もう、そこが自分の住んでいた家だという認識がなかったのではありますが、母のところに持っても行けないのだから、仏壇も処分して良いと神様が教えてくださったと私は思い、処分をすることに決めました。そして、仏壇の中の確認をしていた時に、母が使っていた小銭入れがあり、これは今度教会に行ったときに母の献金として献金しようと思って、神様に「仏壇の中にあったお金ですが、清めてお使いいただけますか?」と聞く祈りをしたところ、なんだか変な様子なので、私はやっぱり、仏壇に入っていたからダメなのかな?と思ってしばらく、忘れていました。
そうしたところ、ある日ふと、母と私が教会に行って、母が献金をしている映像が思い浮かんだのです。その時、私が持っていこうとしたお仏壇の中のお金は、母が行って直接献金することを、神様が望んでおられることに気が付きました。私は、その日から、母と一緒に教会に行くことができるようにと祈りはじめ、昨年の10月末に母の家をすべて整理し終え、11月の最初の日曜日に初めて、母と一緒に折尾クリスチャン・チャーチに行くことができました。
母の施設で「主の祈り」を一緒に声に出して祈って、「アーメン」と言い終わった後に、「昔田舎にいた時に、教会に行っていた」というその時のことを嬉しそうに話し始めたのです。私はそんな話は初めて聞いたので、びっくりしました。そういえば、なぜか母は聖書の内容のことをなんとなく知っている風であったことを思い出しました。それから、私は母のところに行く目的が、教会に母を連れて行くことに変わりました。そして、同時に母の救いを祈り、祈祷会でもセルでもいろんなところで皆さんに祈っていただくようになりました。母は、もう直前の記憶も、昔の記憶の大半が失われています。それなのに、昔教会に行っていたことが有ること、私が帰ってくると、いつも教会に行くことを記憶していました。神様が必要な記憶を母に残してくださっているのだな、と感じました。
そうして、2019年夏の滋賀県の全国聖会に行った時の学びの最中に、そろそろ母が救いの時をいただけるように感じたので、次の週にちょうど母と教会に行ったときに、牧師先生に、母に悔い改めと受け入れのお祈りをしていただくようにお願いしました。その時、母から、「イエス様を信じます」という言葉が出たのです。私には、本当に奇跡の言葉でした。
そうして、次に教会に行った10月6日が母の洗礼の日となりました。母の救いは、神様の御業と、兄弟姉妹の祈りの力によっていただいた救いです。本当に、兄弟姉妹の皆さんの祈りの力強さに感謝致します。私は、ただ皆さんの力強い祈りに支えられ神様に導かれるままでした。
また、今年も、母と教会に行くために北九州に帰るのが楽しみです。(清家 明子)

閉じる