閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.114  2019.09.01

■宮本 裕美

 

【前編】今年の4月28日、平成最後の洗礼式に受洗しました。
私が聖書に初めて触れたのは今から10数年も前になると思います。そのきっかけとなったのが、小林美代子姉妹との出会いでした。当時、知合いの友人から、我が家の次男が入園を決めた幼稚園の制服や道具一式を譲ってくださる方がいると聞き、有難く受取りに行った時に初めて美代子姉妹と出会いました。また、偶然にも美代子姉妹の3男の光君とわが家の長男が小学校で同じクラスだったこともあり、地元の少年野球チームに誘われ入部。美代子姉妹とは野球を通しても繋がることになりました。
そんな偶然の重なりもあり、美代子姉妹の自宅に、西田先生をお呼びして「福音クラブ」を催すので来ない?とお誘いを受けました。私は何も考えることなく聖書の勉強会に参加しました。勿論聖書も持っていませんでしたし、祈ることもよくわかりませんでした。それが聖書を通して神様に触れたスタートでした。今となっては聖書のどこを勉強したのか覚えてないのですが(西田先生ごめんなさい。) 聖書の中の事は全て真実であること。またよく耳にする「神様は乗り越えられない試練は与えない」と言う言葉も「あなた方の会った試練はみな人の知らないようなものではありおません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに脱出の道も備えて下さいます」(第一コリント人への手紙10章13節)と、聖書の中の御言葉であったことを知り、素直に驚いた事をよく覚えています。
また、福音クラブには百合子レイノルズ姉妹も時折参加されていて、クリスチャンの祈りに不思議と気持ちが癒されたことも覚えています。美代子姉妹は教会で開催されるイベントにもよく誘って下さいました。クリスマス礼拝やゴスペルのコンサートにも行った思い出があります。
でも、当時の私は神様を見上げることも、周りから全てを委ねることの素晴らしさを言われても、理解はしても受け入れようとはしませんでした。そのうち段々と教会から足が遠のいていきました。(宮本 裕美)

閉じる