清里バイブルフェロシップ連載証「キリストを土台として」②
神は御自身の形に人間を作られ、すべてを治めることをゆるしました。その人間が「中央にある木からとってはいけない」という神との約束を破り、苦しみ、神から離れました。神はその人間の姿を憐れみ、神御自身から救い道を開いてくださいました。メシアなるキリストを通して、血潮の贖いによって、命が与えられていることに感謝する時間でした。(井出シゲ子・佐久ホープチャペル)
「善悪の知識の木」の説明から自分を神とするということの意味がよくわかりました。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」という創世記3:15の御言葉をただの預言のように思っていましたが、神様の深い愛のご計画であることに感動しました。アダムもエバも神様から直接このみことばを聞いていたのに、はたしてその意味をわかっていたのだろうか、わかっていないところに人間の苦しい一生がはじまったのではないか、いや、もしわかってしまっていたら幸せな一生になったのだろうかなど、いろいろなことを思い巡らしてみる時間でした。
(村山八代江・佐久ホープチャペル)
救われていてもこの世の価値観で生きると、信じている世界観と頼っている世界観が違うので矛盾が生じます。あらためて、御言葉によって成長していかないといけないのだと思い知らされました。しかし、うんうんと頭では分かったつもりになって、なかなか成長できない日々です。今回学んだ神様の世界観を自分の中に落とし込んでいきたいと思います。
(村山智恵子・佐久ホープチャペル)
聖書のはじめから神様がどれほど私たちを愛されているのか、そして創造・脱落・贖罪とすべてをご計画され、愛の故に自由が与えられていることに感謝します。人は神様の思いに反して高ぶり、自分を神として罪を犯してしまいましたが、神様は見捨てずに愛をもって罪からの救いを与えてくださいました。御言葉を通してますます神様を知り、信仰の土台を堅くすることができたらと思いました。
(村山清門・佐久ホープチャペル)