■伊藤 愛子
はじめて東京ホープチャペルに来たのは、3年前の母の日礼拝でした。息子が是非教会に来てほしいと言って来たことがきっかけでした。その日のために息子がずっと祈っていたと教会の方から聞きました。家で手を合わせ祈った時、不思議とガサガサしている心に平安が得られました。息子の願いに答えたいという思いもあり、この年の8月30日に洗礼を授けました。その時、8人の方々が洗礼に臨みましたが、女性4人みなさん感動で涙を流していました。
先日、シュンミン先生の講義を4日間受けました。毎日先生の熱く語られる授業に聞き入りました。その中で、聖書の御言葉に従って生きるようにと先生はおっしゃいました。私はコリント人への手紙第一13章の有名な愛の章が示されました。手帳に写し、毎日その節を読みました。人生とは波のようで、平穏な日々はつかの間でいろいろな苦労が引いては押し寄せてきます。そのほとんどの原因は人間関係にあると思います。なんでこうなのか?どうしてこんなことになるのか?と自分の心がドロドロになる時、この御言葉が心に響くようになりました。「人のした悪を思わず。批判したり悲しんだりせず、その人のために祈ろう。そして、神様、私の心を清めてください。」と祈りました。
ある時祈っていると、イエス様が十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かっているお姿が心に浮かびました。その時、「すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」という御言葉が心に浮かび、ああこの愛はイエスキリストが私たちにくださっている愛なのだ、ということを気づきました。弟子たちに裏切られ孤独の中で十字架にかけられたイエス様。それでも私たちのことを信じて期待してくださる方。絶えることのない愛を注いでくださる方。
私は12月24日に生まれました。その夜、中庭で看護師の方々がキャンドルを持って、「聖しこの夜」の讃美歌を歌っていたと父は話してくれました。若い父は感動し、第一子の私の誕生を喜び、「愛し愛されるように」と愛子と名付けました。今までの人生を振り返ると、たくさんの方々に愛される人生でした。これからの人生は人を愛していく人生を歩みたい。一日の終わりに今日は誰かに親切にやさしくできただろうかと思い返します。難しい時、疲れて出来ない時もたくさんありますが、心がやさしい気持ちになれた時、その喜びをイエス様に感謝します。
後半の人生、私を救ってくださった神様に感謝し、神様の光に向かって生きていきたい。暗さに負けない心を私にくださる神様を信じ、生きていきたいと思います。人生の最後に一筋の光に導かれ天に召されることを夢見て、信じて生きていきたいです。まだイエス様を知らない方々が一人でも多く救われ、幸せな人生を送ることを心より祈ります。アーメン(伊藤 愛子)