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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.053   2018.07.01

■清 優二

 

「神様はイエス・キリスト。救い主、王の王。ハレルヤ!」主の御名を賛美いたします。
私は子供の頃から、疲れがちな毎日を送っていました。いつも顔色も悪く、「自分はなぜこんなに弱いのだろう」と悲観的な考えを持っていました。なので、かかわる人々にいつも心配されていたと思います。今思えば、その当時、信仰がしっかりしていれば、もっと強くいられたのにと思います。このことは悔い改めました。
私は母、また祖母がクリスチャンでしたので、母に引き継がれ、気が付けば毎週の日曜は教会にいるという感じでした。おかげで、日曜は礼拝を守るべき、という考えが小さいころからありました。大人になるにつれ、神様の本当の癒しは内側から心を満たし、平安を与えてくださるものだと気づかされました。
涙を伴った悔い改めから聖霊様のアプローチをはじめて体験したたときには、「これだ!」と思いました。これを機に自分と関わりを持つ人々、特に家族や教会の人々を自分が傷つけていたことが分かり、それも主に癒してもらうことができました。これこそ、神の回復の愛だと信じています。
最後に一人の方の話をしたいと思います。その方は病弱で、いつも教会の出口の方に座られていました。礼拝中でも体調が悪くなったらすぐに動けるように、という理由でした。僕はその方に同じ感覚を感じ、やさしく「よく来てくれました。うれしいです。」と声をかけ、教会のミーティングでもらった飲み物を差し出しました。
このようなことが何度かありましたが、お互いにその教会を離れることになりました。すると、しばらくしてその方から電話があり、「受洗をするのでよかったら賛同してください」というお誘いがありました。その方はそのころ、教会につまずいて寂しく、離れかけていた僕のことを心にとどめてくれたそうです。これは主の働きでした。  
「愛は決して絶えることがありません」(第一コリント人への手紙13:8) すべて主の恵みを感謝します。

(清 優二)

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