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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.051   2018.06.17

■渡邊 眞

 

私が今の場所に来れたのは神様のご計画だと思います。昨年、教会の近くの地で物件探しをはじめました。しかし、仮契約までしたのに本契約の当日にドタキャンされるなど、なかなか契約にいたることが出来ませんでした。帰り道に、「神様。どうか私に伝道ができる場所、また、経済的に守られ仕事ができる場所をお与えください」と祈りました。すると、私の目に「賃貸」と小さな文字が書いてあるのが見えてきました。そこは交差点に隣接したとてもいい、目立った立地条件の場所でした。しかし、建物は築七十年ほど経過し、間取りも普通の民家でしたのでとてもお店&住むような場所ではなかったです。それに大家は仏教徒で私がクリスチャンだとあかすと、考えさせてくださいといい2ヶ月も待たされました。しかし、神様はその場所を私に与えてくださいました。

現在から過去十年ぐらいを思い返しますと、いつも神様の臨在があったんだなぁと感謝しております。それ以前まで私はただ教会だけ行ったり来たりする、中途半端な信徒だったような気がいたします。

イエス様を本当に信じるようになったのは今から8年から10年ほど前で、ちょうど、子供たちのアメリカ留学が決まった時期でした。当時、長女の高校卒業式で、「子供たちをアメリカに行かせて勉強させなさい」というクリスチャンの恩師の一言がきっかけでした。すでに日本の大学に受かっていた長女が行きたいと言い出しましたので、そしたら一度受験してみたらと言いました。心の中では多分受からないだろうと思ってましたが、たまたまシカゴ大学に受かり、その後、 次男もアメリカに行くことになりました。嬉しいというより困ったなと、とうとう経済的なイバラの道が始まりました。アメリカの大学を卒業させるには数億円の投資をしなくてはいけないので、私にとっては破産寸前、私達の家族の経済的な負担は非常に大きなものでした。 私の体は至って健康でしたが、経済的に苦しい時は精神的にも辛くなりました。全てが楽しくない、面白くもない、妻とは毎日言い争いをしておりました。その中でも「毎日が経済的に守られますように、アメリカの地にいる子供たちがテロや災害事故に巻き込まれないように」と祈り続けました。それから7~8年経済的に苦しい日々が続きましたが、主イエス様と一緒に苦しい時間をなんとか乗り越えることができました。イエス様の存在は私にとって、大きな頼りになる兄貴のような存在でした。

私はパウロの天幕伝道のように伝道と仕事を通して、私の持っている賜物を最大限に利用して一人でも多くの人に福音を伝えられたらいいなと思って、日々をすごしております。ですから、三筋という仏教の街に私みたいな海仙山仙の者を用いたのは、主イエス様の計画だと思っております。聖書で言っていることは事実であり、私の世界観でもありキリストの僕の道しるべでもあり私の宝であり私のすべてです。もし、この世で自分の願い事が叶わなくても、それ以上に私に素晴らしいことを永遠にお与えてくださる主に感謝致します。また、キリストを知るために、「弱さ」は無くてはならないものだったと受け取っていく時に、その弱さのために受けてきた傷や痛みも癒されていくのだと思います。

「弱さの中に働くキリストの力」

たとえ誰かがたおれても みんなが手をさしのべてくれる そして誰より主が みんなを支えてくれる

時に悩み 共に喜び 時にしのび合い 愛という帯で 結ばれる 私たちはひとつ

ハレルヤ!アーメン!
(渡邊 眞)

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