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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.047   2018.05.20

■谷村俊子

 

私は毎年5月にある聖会を楽しみにしてきました。しかし、今回の聖会が「リーダーシップ」をテーマにしていると聞き、自分が参加してよいかどうか迷っていました。周りの姉妹たちに励まされ参加してみたら、そこには私に向けられた神様のご計画がありました。講義内容は正直、難しかったのですが、難しいからこそ一生懸命に考えることができたと思います。特に、最後の日の賛美の時に、「こういうことだったのか!」という気づきが与えられました。いきなり分かったようなものでしたので、泣けてきました。
  私は神様に出会ってからもずっと「神様のご計画って何?私の自主性はどうなるの?私は自分で考えて努力し人生を歩んできたし、だからこそ今があると思う。なのに何で自分の自主性を殺して、神様の決めた道を歩まなければいけないの?」という疑問を抱いていました。その度にある姉妹からやさしく説明され、頭では分かるようになったものの、依然として心のどこかで「私の自主性はどうなるの?」と思っていました。また、「神様、どうか私のすべてを神様にゆだ
ねるようにしてください。」と祈りながらも、自分の自主性の方を大事にしてきました。言い換えれば、お祈りをしているのに、なぜ私は「自分」というものを手放すことができず、しがみついているのだろうかと劣等感を感じていたのかもしれません。人は素晴らしく歩んでいくのに…私はだめな人間だな、こんな私でも愛してくれている神様はすごいなと思っていました。
 聖会の最後の日の朝、詩編119編の内容についてグループで分かち合う時間があったのですが、私よりずっと素晴らしい信仰を持っているある姉妹が、実は私と同じような悩みを持っていたことを分かち合ってくれて、本当に驚きました。「このような悩みは私だけじゃないの?みんなそれぞれの悩みを乗り越えていくのか。」という気づきが与えられました。私のグループで読んだ詩編の個所に、自分を攻撃するものをどうか神様、排除してくださいという祈りの内容がありました。はじめて読んだときは、誰からも攻撃されていないし、私とは関係のないことだと思っていました。しかし、何度も読み返し、思い巡らしていくうちに、この攻撃者とは実は私の心の中にあるのではないかということにも気づかされました。神様にお願いしますとお祈りする傍ら、自分で自分を攻撃している…最終日の朝の賛美の中で、いつしか私を攻撃するサタンに心を許し、いや、「お願い。サタンよ。私の心の中から出て行かないで、私が神様より自主性を大事にするように私を守って。」と言っている自分の姿がはっきりと示されました。私はずっとサタンを抱きついていたのですね。
もう一つ、今回西田先生のメッセージを通して、ただゴスペルが好きで入っていたTRUE PRAISEでの活動の中で、神様は私という器を伝道に用いてくださっていたことがわかりました。信仰を持つ前から、神様はちゃんと私をクリスチャンとして導いてくださっていたのです。
 私はきっとこれらのことに気づかさせられるために、今回の聖会に参加させてもらったのだと確信しています。だからといって、すぐにすべてががらりと変わるわけではないかもしれません。それでも、来年の聖会の時まではもう少し信仰が成長し、サタンにしがみつかない自分でいたいと願っております。(谷村俊子)

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