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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.036   2018.03.04

■山田恵実

 

私は3月から弟子大学2学期の学びを始めます。これまで、回復キャンプから始まり、養育クラス、弟子学校、弟子大学、また、リーダーキャンプやとりなしの祈りのトレーニングなど、ほぼ全部の学び会に参加してきました。その中で、一番自分が証できると思える「祈り」について、書いてみたいと思います。
養育クラスでは、自分の賜物を発見するための授業があります。簡単なテストで自分の賜物がわかるのです。その時、私の賜物の一つに、「とりなしの祈り」があることを知りました。今は家が遠いので、教会の祈祷会にはなかなか出られませんが、学生の頃から毎週教会の祈祷会でみんなと祈っていました。また、数年前にこの教会に戻ってきてからはずっと、毎月リレー祈祷に参加しています。それは、私にとっては、やらなければいけないからやるという気持ちからではなく、あるなら参加する、といったごく普通のことなので、「なるほどこれが賜物か」と思いました。がんばらなくても自然にできる、賜物とはそういうものらしいです。人それぞれ賜物が違うので、みなさんにもぜひこの授業を受けていただき、ご自分の賜物を発見していただきたいと願います。
私はごく簡単なことから難しいことまで、よく心の中で祈ります。祈りが叶えられるとき、あまりに「ぴったり」なので驚き、嬉しくなります。誰かと絶対に会いたいと祈ると、場所と時間がぴったり合って会えたり、こういう物が欲しいと祈りながら探すと、大きさや柄などがぴったりな物が与えられたりします。本当に感謝なことです。家の庭にある大量の木の枝の処分について思案していたとき、突然、市が月に二回、資源として収集を始めたこともありました。車を買い換えるときに、いつか夫と一緒にこの車に乗って礼拝に来たいという祈りも叶えられました。このことについては、本当に、牧師先生や牧師夫人、教会の兄弟姉妹のお祈りがあってのことだと思っています。本当に感謝しています。また、去年のクリスマスセレブレーションには、何年も疎遠になっていた叔父夫婦が来てくれたり、甥が奉仕してくれました。また、教会の兄弟姉妹の祈りの課題も、たくさん叶えられてきました。
時々、心に余裕がなく、平安がなくなるときがあります。そんなときには「平安をください」と祈り、聖書を読みます。すると、ぴったりの御言葉が与えられます。そして、その御言葉を信じると決めるとき、平安が与えられます。
これらのことから私は、「祈りは叶う」と思います。すぐに叶えられない祈りもあります。それは諦めずに祈り続けます。また、叶えられなかった祈りもあります。しかし、そのためにさらに祈ります。どちらも、何か神様がもっと大きな祝福をくださるためだと思うからです。
祈りが叶うとすれば、祈らないのは「損」です。何でもまずは祈ることをお勧めいたします。私自身も、これからももっと祈っていきたいと思います。(山田恵実)

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