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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.030   2018.01.21

■タン チ ソン ガブリエル(リュウジ)

 

クリスチャンホームで生まれた私は、他の未信者の友達とあまりよくコミュニケーションとることができない子でした。イベントがあっても誘われることもありませんでしたし、もちろん、誘われても日曜日なら行けません。そのような理由から小さい頃の私は、教会の兄弟姉妹以外あまり友達がいませんでした。
クリスチャンホームで生まれ育った私の目に、両親はいつも立派なクリスチャンのように見えました。特に私の母は献身的なクリスチャンです。そのため、母は私を聖書に書かれている通りに育てようとしました。しかし、小さい頃の私にとってできないことが多く、あまり好きではなかったと記憶しています。
昔の私は神様や聖書の話を知っていながらも、結構、自由奔放な性格で、周りを気にせず、好きなことだけをやっていました。しかも、クリスチャンだと言いながら、神様の愛を感じることもほとんどなく、ただ教会へ行って話を聞くだけだと思っていました。自分はずっと一人だったと思っていたのです。
しかし、10歳のとき私はやっと自分がクリスチャンであることの意味を分かりました。母と教会学校の教えのおかげで、生まれてからすでにイエス・キリストは私達の罪のために十字架に掛かれたことを知りました。そのきっかけとなったのが、当時観た「パッション」というイエス様の受難を描いた映画でした。映画を観ている間、神様の声が心の中に響きました。おそらくその時、私は心からイエス様を信じ、救われたと思います。そして、幼いながらも自分は神様のしもべになると決心しました。
それにしても、まだ思春期だった私は、自分の言動に責任が持てず、混沌の時期を過ごしていました。その都度、悔い改めはするも、何度も同じ間違いを繰り返しました。「自分はダメだ」と思い、神様に祈っても、何の答えも与えられませんでした。ただ、一つだけ分かっていたのは、「何があっても神様は私を導いてくださるお方」ということでした。その約束を握っていたら、中学入試でも高校入試でも、ひいては日本へ来て勉強することにおいても、神様は全ての道を備え、導いてくださいました。というのも、与えられた学校や環境が最初私の目には、あまり良いものに見えませんでした。しかし、実際にその環境で過ごした時間はとても楽しく、きっとこれは神様の恵みだと思えるようになりました。

もう一つ変わったのは楽器演奏に対する情熱です。私は7歳からピアノを学んでいたのですが、あまり上達しなかったため辞めていました。しかし自分のためではなく、神様のために弾くと決めた瞬間、レッスンを受けなくても独学で勉強することができ、今は教会でピアノとドラムを演奏しています。7歳の時いただいた賜物は、このために与えられたものだと考えています。ここまで来る過程において、神様は色々な恵みを与えてくださいました。これからも「神様のしもべ」であることを忘れずに生きていこうと思っています。

(タン チ ソン ガブリエル(リュウジ))

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