閉じる

◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.025   2017.12.17

■和田祥子

 

3年前の冬、木曜日の朝がとても憂鬱でした。当時私は駆け出しの訪問介護ヘルパーで、木曜日の9時からはYさんのサービスがはいっていました。駆け出しとはいえ、もちまえの愛想のよさで利用者さんとの関係もおおむね良好であることが多かったのですが、Yさん宅の訪問は気が重いものでした。
Yさんは、60代前半でお一人暮らしでした。かつては審美眼を要するお仕事を されていたようで、持ち物もセンスがよく、こだわりが感じられました。そんな彼女は肺がんの末期で余命宣告を受け、最期のときを在宅で過ごしておられたのです。そういう状態の方とどう接したらよいでしょうか?一介のヘルパーの慰めや、寄り添いは必要とされているでしょうか?答えはNoです。
Yさんはベッドの中から、ただ険しい顔つきで細かい用事の指示をいいつけるのみでした。そうすることでご自身の尊厳を保っておられたのでしょう。
しかし、その要求の厳しさにはほかのヘルパー達もみな音をあげていました。ある仲間は「はいはい、と言って心のなかで悪態をついていればいいのよ」と言いました。正直なところ、そんな気持ちもわからなくはないですが、正しい態度とはいえません。
どうしたら恐れることなく、祈りと感謝の心でサービスを提供できるでしょうか。その鍵はとりなしの祈りにありました。セルグループの時間にはYさんの話をきいてもらい、みなさんに祈ってもらいました。そして、木曜日の朝もいつも祈ってくれていたのです。
Yさんは厳しい人でしたけれど、最期まで自分らしく生きようとされる毅然とした姿には心を打たれたものです。私もだんだん祈り心をもちながらも淡々と仕事をすることができるようになりました。神棚のそうじをしろといわれたら、丁寧にやりました。無理難題に思えるようなことも、できる限り応えたいというように変えられていきました。
クリスマスの少し前にYさんは亡くなりました。ちょうど今頃です。時折思い出しては、切なさと感謝との不思議な思いになります。Yさんとの短いかかわりの中で、私の心はとても押し広げられたのです。これは神様が与えてくださった貴重な出会いでした。

(和田祥子)

閉じる