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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.024   2017.12.10

■徳和子

 

2011年から2014年まで東京ホープチャペルで過ごした日々を振り返ると愛兄姉達と家族のような深い交わりがあり、礼拝のメッセージ、賛美、早天祈祷、学び、CS、様々なイベント等、どれもこれも恵みに満ちたものでした。四方八方から愛に包まれていたように思います。2014年8月末にそのような恵みに満ちた場所から、沖縄に引越す事になりました。自分で決断したのですが、当時は押されるように流されるような気持ちでした。新しい環境への心地いい緊張感と神様が何とかしてくださるだろうという安心感はあるものの、恵みと愛の場所から一人離れてしまう寂しさを持ちながらの引越しでした。
そして今は沖縄のキリスト教病院で精神科医として働いています。私は子供の頃から 「何故病気の人がいるのだろうか、悪い事をしていないのに」と思いがあり、信仰を持った時に、イザヤ書51章の「彼は悲しみの人で病を知っていた」という御言葉に目が開かれ、イエス様と一緒に生きていきたいと心に決めました。
以前は、職場で短く祈る事はあっても信仰の話をするチャンスは殆どありませんでした。
だから退院していかれる方々を見送る時に、何とも言えない空しさがありました。肉体や心の病が癒されても、霊的な解放や満たしがなければ私達は健康とは言えないのです。しかし今はキリスト教病院ですから自由に伝道し祈ることができます。私は口下手ですが、主が語る時を備えてくださり、祈りの言葉も聖霊様が注いでくださいます。クリスチャンの患者さんも多くおられ、診察後には一緒に祈る事もあります。そのような時には、ただただ神様の道具である事を強く感じます。また目の前の患者さんに、愛があふれて涙がでそうになることがあります。でも私はそのような深い愛を持っている者ではなく、私から出ている思いではないとわかるのです。神様は父の愛を私の内に溢れさせ教えてくださいます。目の前に送ってくださったこの方のことを、神様はどれほど愛しておられるのかを教えてくださるのです。だからこの方がたとえどんなに死にたいと言い続けても、実際何度も自殺企図をしても、伝えていくことを何としてもしなければと思います。
沖縄は祖先崇拝やユタが日常生活の中にあり、霊的な力の強いところですが、それゆえ病んでおられる方々もおられます。どれほど主の愛が必要か、主がどれほど人々を愛しておられるかを思います。色んな事があるけれど、イエスキリストの十字架の血潮に覆われているからこそ、続けていく事ができています。
泣きながら祈った毎日がありました。あまりにも神様からの応えがないように思えて、私のこの地上での働きはもう終わるのかな、もう天に召されるのかなと思ったりもしました。神様がそうされるのなら、それでもいいと思っていました。しかし、しばらくした時に私はまだ生かされているんだと気づき、再び息を吹き返した瞬間がありました。私の人生の全部はまだわからないけれど、主は進む足元を光で照らして下さり、少しずつ御心を示してくださいます。主の思いに私の心が重なるようにと祈りつつ恵みの中で日々を過ごしています。ホープチャペルと物理的な距離は離れたけど、実は離れておらず、一つ信仰で、主の偉大さ広さ深さを日々教えられています。西田先生、立美姉、愛兄姉の背後の祈りに感謝しつつ、主に全ての栄光をお返しします。

(徳和子)

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