■中嶋 淳
私は大学卒業後コンピュータメーカーでソフトウェア開発の仕事につきました。当時のコンピュータは大型で官庁や大企業にしか入っていない高価なもので、それをある程度自由に使え、新しい応用方法を考えるなどして楽しく仕事をしていました。ある時ふとこんな機械がなぜ欧米で発明され発達してきたのだろうと考えることがありました。
日本でも高速に自動的に計算する機械は開発されたことがありましたが文章のような文字データを扱う発想はなく事務処理装置として実用化されることはありませんでした。この疑問を解くには欧米文化特にそのベースとなっているキリスト教を知る必要があるのではと思わされました。
それまで聖書は物語集のようなものでそれにしては難解だなと思う程度でした。ある時家にセブンスデーアドベンチストの信者さんが来られ、牧師さんから聖書の学びができますよと言われ、個人的に学びをし、そのうちに礼拝に出席するようになりました。
そしてもっと知るためには洗礼を受けてみるのもいいかな、キリスト教は離れるのも簡単そうだしと47歳の時に受洗しました。しかし欧米文化に影響を与えたキリスト教というものを知識として学びつつも、教会というものになじめず、教会を移ったり離れたりしていました。
会社を退職し、ある程度時間が取れるようになったころ、ある人から東京ホープチャペルを紹介され、礼拝に出席するようになりました。時間もできたので、聖書を通読したり、聖書講解書を読んだり、ネットで他教会の牧師のメッセージを読んだりして初めて聖書の神様がどういう方なのかわかり始めました。
心を揺さぶるような神様の体験がない私にとっては、メッセージを聞きそれを家でワープロ化しながら自分の経験の中から神様の恵みを思い起こさせられたり、弟子大学などで学びながら神様とはどういうお方なのかを知り、神様との正しい関係を作り上げていったりすることが信仰を深めていく道なのではないかと試行錯誤している今日この頃です。
しかし神様が導いて下さていることは確信していますので心は平安です。ハレルヤ!
(中嶋 淳)