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◆主と共に生きる◆信徒の証し

NO.014   2017.10.01

■上村 啓

 

イエス様を信じる前は、特にこれといった将来のビジョンもなく、日々忙しく夜遅くまで仕事をすることで気を紛らせていたように思います。忙しさにかまけて現実から逃げていたのかもしれません。仕事に没頭しているときは自分のことは何も考えずによかったのですが、ふと立ち止まって自分を振り返ったときに、虚しさや無気力に陥っていたように思います。ですから、一人でいるのがたまらなく嫌でした。一家の大黒柱として、精神的にも経済的にも家族を養って支えていかなければと思いつつも、はたして自分にはできるのだろうかと自信がなく不安でもありました。
そのようなときに、義理の弟が毎晩のように家に遊びに来て、イエス様の話や教会であったことを楽しそうに話しました。そんなに楽しい所なら一度行ってみようと思い、26歳だった1998年、義理の弟の勧めで教会の特別伝道集会に家族で行きました。そこには、玄関に大きな文字で「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のもとに来なさい。私があなた方を休ませてあげます。」という、聖書の箇所を貼ってありました。どのような意味であるのかはその時は分かりませんでしたが、直感で私が探し求めていたのはこれじゃないかと思いました。
講師の先生は、熱心にお話をされていましたが、正直言って内容はほとんど分からなかったように思います。ただ、一つだけ心に残ったことがありました。それは玄関に貼ってあったマタイの福音書11:28のみ言葉でした。集会が終わりに近づき、講師の先生が「イエス様のことを信じてみませんか」と言われましたので、「はい!信じたいです!」と心に思いました。
集会が終わってから教会の人に祈りを導いていただき、はじめて祈りを体験しました。祈りの中でイエス様に対する信仰告白をしたとたん、涙が止まらなくなり、人前で時間を忘れて大泣きしていました。普段あまり涙を見せることのなかった私が、あんなに泣いたのはあの時がはじめてでした。何か心の奥底から暖かいものを感じ喜びに満たされたように思います。私がクリスチャンになった瞬間でした。その後、翌年の3月に妻と義理の妹と教会の姉妹2人、一度に5人がバプテスマを受けることができました。
イエス様を信じた後は、毎週家族そろって教会に行くようになり、神様によって家族全員が祝福されていきました。また、週1回家庭集会をするようになり、そこから救われる人が出てきて大変恵まれました。もっと神様・イエス様のことを知りたいと思い、週に何度か宣教師の家で聖書の学びをするようになりました。
足を運んでいるうちに、検診の思いが与えられていることを知り、宣教師の勧めで高松にある夜間の神学校に通うことになりました。神学校で深く、広く学べたことは、一生の財産だと思っております。
最後に、神様と人を愛せる人間へ、罪を犯すことをしたくなくなり、悪い習慣から離れたいと思うようになり、さらに、伝道するように変えられたのは、すべてイエス様が私の罪のために十字架に架かり、蘇ってくださったおかげです。

(上村 啓)

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