閉じる

第14号

04

 ■法律サービスの原点       司法書士 吉岡 貞嘉

 僕の仕事は、道中途です。しかし、仕事を取り巻く環境は社会の大変化と共に激変し、僕達の事務所にも素晴らしい幸運を与えて呉れました。 それは法律業界全体が新しい法律サービスとしてのスタートをしたのです。
全ては司法制度改革の成果です。
キリスト教会との関わりは、僕が40歳の頃に万代牧師と知りあったことから始まります。
万代牧師は強烈な個性、素晴らしい情熱、「何か」を求めていた僕に取っては強い衝撃でした。 思い出は山ほど有りますが、とても内面は優しい牧師先生でした。 「弱者、病気の人、迷える人、そんな苦難の人達に常に優しくし何とか助けたい。 現代の病気は借金に悩んで苦しんでいる人達だ。」 もう20年も前に万代牧師は現代社会の病巣を見事に指摘しておられました。 法律の処理だけでは真の幸福にならない。 心の平穏こそが重要だ。心のケアこそが大切必要だ。 そんな万代牧師の崇高な意思を西田牧師が引き継いでくれました。
 そして、僕は西田牧師と共に、多重債務者救済に全てを賭けました。 思い出は多く心に残ります。西田牧師が東京の街角で、聞く人も無い寒空で懸命に 布教活動に立った日々を決して僕は忘れません。 今は多くの信者に支えられる西田牧師も10年前は知らない東京の片隅で苦労の連続でした。 時代はバブル崩壊時、大量消費時代の結果でしょう。多くの債務者が表面化し、 社会が求めている「心の支援」が西田牧師によって、 新聞、TVを通じて広く世間に知れ渡りました。 今も僕の小さな事務所は多忙な毎日です。西田牧師から推挙された根本めぐみさんが 事務所の責任者として僕を助けて呉れています。 連日、悩み・苦しむ人に優しく接して呉れています。借金は恥ずかしい事ではありません。 逃げたり隠れたりするよりも、誠実に支払い続けた結果、どうしても支払不能になった時は、 自分を責めるよりも法律を頼り、人生のやり直しを選ぶことです。人生に一度だけ、 失敗をバネして生活の立て直しを考える事が賢明な生き方ではないでしょうか?
 振り返れば、万代牧師に教えられ、西田牧師に支えられ、多くの教会信者にご協力と ご支援を頂き、この法律サービスと真剣に取り組めました。今も朝7時から全国からの 電話相談を引き受けております。
今後も、勉強し、少しでも社会に役に立つ仕事を続けて行きたいと願っています。

03

 ■最高のプレゼント       牧師 西田 育生

 三人いる子供たちの誕生月は8月,9月,10月で三ヶ月続きます。私にとって見れば 「魔の三ヶ月」です。でもささやかなプレゼントを渡し、うれしい顔の子供たちを見ると、 こちらも心和みます。私の誕生日はというと、末っ子と同じ10月ですから、 大概忘れられます。また50歳を過ぎるようになると、あまり誕生日を祝うということも なくなります。でも、昨年、子供たちから一枚の誕生カードをもらいました。「ありがとう。」 「ご苦労様。」「無理しないで。」「体重に気をつけて。」など等。
 子供たちなりに親の労をねぎらう言葉が書かれていて、思わず「ありがとう!」と 大きな声をあげてしまいました。思いがけないカードでしたから、よけいにうれしかった です。クリスマスが近づくと、今度はクリスマスプレゼントです。愛する家族に、 親しい友に、どんなプレゼントをしようか、相手が喜ぶ顔を思い浮かべたりしながら 選ぶのも楽しいものです。でも、クリスマスの意味をどれだけ考えたことがあるでしょうか。
 そういう私も16歳まではその意味さえ深く知ることはありませんでした。
2000年前ユダヤに生まれたイエスが、私と何の関係があるのか。歴史上の人物の 誕生日くらいな感覚でしかなかったのです。友人に誘われて教会にいってはじめて、 神様からの最大のプレゼントがイエスキリストであり、神の愛がキリストを通して 現されたのがクリスマスであることを知ったのです。生きる意欲を失い、目的もわからず、 罪の中にさまよっていた私たちを救うために、神様は愛するひとり子イエスキリストを この世に送ってくださった。たとえ誰からもプレゼントをもらったことがなかったとしても、 神様は私たちのためにキリストをくださったのです。 このイエスはいつも共にいてくださり私たちの人生を導いてくださるのです。
 私の人生が変わったのもこの「最高のプレゼント」を受け取ってからでした。

02

 ■クリスマス賛歌

「神さまは、実にご自分の一人子を与えて下さるほどに私たちを愛してくださいました。
それは、この一人子であるイエスさまを信じる人は全て、滅びてしまうことがなく
永遠の生命を持つようになるためです。」 (ヨハネによる福音書3章16節)

 

 この聖書の言葉を、宗教改革で有名なルターと言う人は「聖書の中の聖書」、「小さな聖書」 と呼びました。あの厚い聖書の真髄がここに凝縮されていると言うのです。「信じるだけで 救われる」と言うのがキリスト教の大きな特徴です。その意味は、神さまがわたしたち 人間を愛し、ひとりひとりは神さまのご計画によって形づくられているということから 始まります。しかしわたしたち人間は神さまの愛から離れて自己中心の生活を選ぶ 「罪」の性質を持っています。このことは、はじめの人、アダムとエバが神さまに背いて
自分中心の選択をしたためエデンの園を追われたときから今日まで続いているのです。
 しかし、 神さまは、ご自分に背いた人間を園から追われたままにはしておきませんでした。 いつも神さまは、わたしたちが、ご自分の声に聴いて従うようにと求め続けておられる のです。しかも、わたしたちが「罪」から離れて神さまに立ち返るためにご自分の一人子を 与えて下さると云うお約束を昔から下さっていたのです。
 そして、今から2000年あまり前にこのことは、起こったのです。イスラエルという 国のベツレヘムと云う寒村でした。クリスマスとして知られ、今日、全世界で祝われている この日は、神さまの一人子であるイエス キリストがお生まれになった誕生日のお祝いです。
神さまは、遠くからただ私たちに帰って来いと呼びかけるだけでなく、自らが人のかたちと なって、わたしたちと同じ地上を歩かれ喜びも痛みも共にして下さったのです。 同時に、イエス様の地上における最期は、神さまのわたしたちへの驚くべき愛の現れでした。 しかし、この神の一人子を最も呪われるべき十字架に架けて殺してしまったのです。 「お前が神の子なら十字架から降りてみろ。天の軍勢に命じて助けてもらえ。」  人々は口汚く罵りそして殺してしまいました。しかしその時イエス様の口から出た言葉も 驚くべきものでした。「父よ、この人たちを赦してください。この人たちは、自分で何を言っ ているのかが判っていないのです。」イエス様による救いは、結局、十字架で終わって しまったのでしょうか?いいえ、かねてからお弟子たちに言われていたとおりにイエス様は 死から三日目の朝、甦(よみがえ)られたのです。栄光の身体をもって、お弟子たちと しばらくの時を共に過ごし、やがて再び来られる約束を残されて多くの人々の見ている前で 天に昇られたことが聖書には書かれているのです。ですからイエス様のお墓は、今日も
空のままです。
 イエス様は、わたしたちが支払うべき「罪」の負債を、ご自分の生命によってすべて 買い取って下さったという事ができます。そして、このことを信じる人には、永遠の生命が 与えられると約束されているのです。
 今年もやがてクリスマスを迎えますが、本当のクリスマスの、真実のプレゼント、あなたは、 これをもう受け取られましたか?   
(T.W)

01

 ■子育て日記

私は3人の男の子の子育てママとなって10年経ちますが、なぜか子育てをしながらも 自分のやりたいことを生き生きと自己実現しているお母さんに会うと今の自分と比べて しまって落ち込んだりすることがあります。 でも「たいせつなきみ」(いのちのことば社) という絵本と出会い教えられたことがあります。そこには、自分を他人と比べて 落ち込んだり、傲慢になったりする人間の姿が描かれていました。「あー、私もこうやって 比べて生きてるなー」「私をつくって下さった神様と出会うとき、人の評価に左右されない
自分になる、という生き方、自由に生きるとはこういうことなんだ。」と方向転換する必要を 感じました。子育てをしながら、昨日までは楽しくてしかたがなかった自分も、次の日には ささいなことをきっかけにいきなり母としての自信を失い、子どもに対してあれで
良かったのかな~と悩む事があります。厳しくなりすぎてしまったり、甘くなりすぎて しまったりと、反省しながら、自分の心がカラカラに渇くとき、「どうか私の渇いている心に イエス様の愛を下さい」と祈ってみます。そこには、確かに注がれる暖かい愛が本当にある と私は信じます。 2005年前に本当の愛を伝える為に、救い主としてお生まれになったイエス様に 感謝します。

 

<聖書のメッセージより>
  人は愛されるために生まれ、愛するために生きる。お母さん業に自信を失うとき、
自分の選んだ生き方に不安がよぎるとき、このメッセージを声に出すと自信がよみがえり、
神様から愛されている確信が満ちてきます。                (M・K)

閉じる