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NO.016  2010.08.31

「一歩前に踏み出そう」

 

主のみ名を賛美します。

 

連日の猛暑が続いていますが、愛する兄弟姉妹はいかがお過ごしでしょうか?例年にない猛暑ということで、体調を崩された方もおられるようです。神様の守りと支えがありますようお祈りをいたします。
一方、この猛暑でエアコンがよく売れたり、飲料水も記録的な売上を記録したり、またビアガーデンは連日盛況のようです。猛暑が日本全体にプラスの経済効果をもたらしているとも言われていて、物事は捉えようだなと思います。私たちの周りには積極的にこの暑さを生かそうとしたたかに生きている人もいるのです。暑い、暑いと言うだけでなく、暑さのイメージを心の熱さや生き方の熱さに転嫁して前向きに生きたいと思います。兄弟姉妹の上に圧倒的な熱い神様の祝福がありますようにお祈りいたします。


先日ある方からお手紙を頂きました。およそ二年ぶりのお便りでした。その中には長らく連絡しなかったことのお詫びと近況が書かれていました。久しぶりのお便りに感謝いたしました。その手紙には改めて手紙を書く決断をした経緯が綴られていました。何時か連絡しようと思っている内に、その機会を逸したこと、色々大変な現実の生活の中で、その日その日を懸命に生きることで手一杯であったこと。気にはなりつつ、つい手紙を書くという気持ちに踏み切れなかったことなど、正直に書いてくださっていて、その方の思いがよく伝わってきました。思わずその手紙を握って祝福を祈らせていただきました。


たかが手紙一つではないかと思う人もいるかも知れません。でも、その手紙を一つ書くにも決断が必要なのです。特に、日々の生活に手一杯だとなかなかその流れを変えるというターニングポイントをつかめません。その方も教会から送られてくる週報を読み返している中で、その中に書かれている言葉が心にとまり、思い切って手紙を書き、近況を知ってもらおうと思われたのでした。このような前向きな決断の一歩が新しい流れを生み出すことを心に留めたいと思います。もう一度、人生は小さな決断の集積であることを心に留めて、生きた命ある信仰に生きるために新しい一歩を踏み出そうではありませんか。

 

そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯 しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。(ルカの福音書15:17-20:口語訳)

 

Ⅰ 嘆いている間は何も変らない。
有名な放蕩息子の話です。2人息子の弟の方が生前の財産の分け前を父親に要求します。そうして、一旗揚げようともらった財産を手にして遠い国へ出かけていきます。しかし願いが簡単に叶うほど人生は甘くはありません。世間知らずの弟はもらった財産を湯水のごとく使ってします。加えて、悪いことにその地方に大飢饉が起こります。食べるにも窮するようになり、やっと見つけた豚の世話をする仕事も、想像以上に厳しく、豚が食べる飼料で腹を満たしたいと思うほどでしたが、それも許してもらえませんでした。1度出来た悪い流れはなかなか断ち切ることは出来ません。
彼の心中は描かれていませんが、恐らく自分の軽薄な行動を嘆き責めたに違いありません。あれほど出たいと願って出てきた実家への郷愁も募ったことでしょう。また自分の境遇への嘆きもおこったことでしょう。人生、自分ばかりが貧乏くじを引いたように感じたかもしれません。しかし、右に左に心が揺れて、現実の生活に対応している間はなかなか進む方向性が見えてきません。神の取り扱いが始まっているにもわからず現実に翻弄されるばかりで、神の導きが見えなくなってしまうのです。
私たちも自分の人生を嘆いていないでしょうか。自分の境遇を嘆き、自分の失敗を悔やみ、神様も自分を見捨てているのではないかと恨めしく思ったりするのです。しかしそのことに支配されている間は、周りの励ましも忠告も耳に入らないのです。そうして悲劇の主人公を続けて演じることになってしまいます。

 

Ⅱ 自分の本心を見つけよう
しかし、持てる物もなくなり、地を這うような状態に陥ったとき、弟は初めて「本心に立ちかえった」のでした。本心に立ち帰ったというより、むしろ「本心に立ちかえらされた」と言った方が良いのかもしれません。持てるものもなく、頼れる人もおらず、嘆いても誰も自分に目を向けてくれない。そんな状態になったとき、初めて彼は自分としっかりと向き合うことができたのです。
彼は自分のしてきたことの意味や父親との関係、また神様との関係がどれほど大切なものであるかがわかってきました。大切にすべきことを大切にせず、いかにないがしろにしてきたか。また自分がなんとわがままに生きてきたかがわかってきたのです。自分は「ここで飢えて死のうとしている。」「父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。」と言う言葉に彼の真実の思いが込められています。たしかに彼の現状は死に行く人でした。それは自分が神様に対して、父親に対して罪を犯した結果がもたらしたものだとわかったのです。

 

Ⅲ 今なすべきことは何かを明確にしよう
弟は決意します。先ず、第一の決意は父のもとに帰ることでした。父のもとには豊かさがありました。交わりがありました。かつて彼はその中にいたのでしたが、その有り難さがその時はわからなかったのです。でも彼は今それがどれほどの恵みで祝福であったかがわかりました。その豊かな恵みの場所に帰っていくことを決意したのです。
次に彼は神様と父親に悔い改めの告白する事を決意します。「立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯 しました。」と。これは彼の素直な気持ちでした。本心から彼は神様と父親に対して申し訳ないと思えたのです。この悔い改めと告白が彼の心の傷を癒し救いへと導いていったのです。
更にはもう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください」ということで、父親に赦しを請い、雇い人の1人として雇ってくれるよう頼むのでした。父親の元で雇い人の1人でよいからいたい、そう願っていたのでした。
私たちも自分自身の歩みとしっかりと向き合ってみなければなりません。放置された壊れた関係はないでしょうか。苦い辛い思いを抱いているようなことはないでしょうか。ちょうど放蕩息子のように先ず自分の置かれている現状を認識することから始めましょう。そうして告白して、悔い改め、赦しを受け取るのです。このプロセスを経ることが大切です。回復がおこるためには、相手ではなく、自分自身が変ることを選択しましょう。そうすると自分の大きな課題があることに気づくでしょう。

 

Ⅳ 一歩、前に向かって前進しよう
彼は「そこで立って、父のところへ出かけた。」とあるように、父親の所に帰って行きました。決意したことを実行に移したのです。「立って」という言葉に、彼の行動の姿が思い浮かばれます。今までの古い生き方の流れを変えるべく、現状から立ち上がらなければなりません。そうして、一歩踏み出すのです。この一歩前に踏み出すことが重要なのです。
誰しも、こうなればいいと言う良い思いは思いつくでしょう。しかし、それを一歩行動に移す決断と行動が求められるのです。色々な言い訳が思い浮かぶかも知れません。今更遅いのではないか。雇い人の1人にしてくれなどと虫が良すぎるのではないか。父親はそう簡単には赦さないだろう。会ってくれないかもしれない。自分が描くシナリオは消極的で否定的、マイナス的なものが多いのです。しかし、そのことに捕らわれていると、結局行動が鈍ります。一歩が踏み出せず自分の殻の中にとどまることになってしまうのです。
どうか、最初の一歩を過小評価しないでください。その一歩がなければその次はないのです。いかに最初の一歩がどれほど小さいように見えるものであっても、それは大事な偉大な一歩であるかを認識いたしましょう。
帰って行った息子を見つけたのは父親の方でした。彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って抱きしめてくれたのです。彼の不安は徒労に終わりました。父親は彼が想像していた以上の態度に出ました。父親は彼の告白を受け入れ、子どもとして彼を迎えてくれたのでした。そうして大宴会が催されたというのです。
私も色々なところでその第一歩を踏み出すためのチャレンジを受けています。今まで良いと思っていたことも既に古くなっていたり、時代に合わなくなっているものもあります。変えてはならない福音の真理と同時に、変えなければならない私たちの生き方ややり方があることを見極めて積極的にチャレンジしていきたいと思います。私たちの教会は、変革を恐れない教会であり、「愛を解き放つ教会」として大きく主に用いられる教会になっていきたいと祈らされています。そして、その主役があなたや私なのです。
いつも兄弟姉妹のお祈りとご支援に心から感謝をいたします。8月12日から14日まで二泊三日で日本福音宣教会の全国聖会が、愛媛松山のホテル奥道後で開催されました。300名の方々が集ってくださり、大変恵まれた集いとなりました。「日本を変えよう」というテーマでしたが、松山福音センターの万代栄嗣牧師、高知西福音教会の久保内政春牧師、名古屋リバイバルチャーチの中西幸輝牧師、それに私と4名の牧師達がテーマに沿ってメッセージを語りました。
今の混迷する日本に世の光、地の塩として、キリスト者が今こそ立ち上がるべきことをチャンジされました。神は私たちを用いられるのです。メッセージはCD,DVDで発売されていますので、日本福音宣教会の事務局(℡089-925-1603、FAX089-926-2785)にお問い合わせください。

兄弟姉妹の上に更なる神様の祝福がございますようにお祈りをいたします。祈りに答えてくださる主に心より感謝しつつ。

キリストのしもべ       西田育生

 

 
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