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NO.002  2009.06.30

「何に命を捧げるか」

 

主のみ名を賛美します。
梅雨明けも間近となりました。夏本番まであと少しです。西日本では雨が降らず、特に四国は深刻な水不足で、断水を余儀なくされている地域も出ています。人々の生活が支えられますよう祈りいたします。
 また私たちの心にも渇きはないでしょうか。神様から活ける命の水をいただき、あふれ出る恵みの中に導かれてまいりましょう。神は飢え渇く者を豊かに満たしてくださるお方です。

 

さて東京はもうすぐ都議会選挙です。至る所に選挙用の看板が立ち始めました。今年は選挙の夏になりそうです。今、マスコミは解散総選挙がいつになるのかを連日報道しています。政権与党である自民党の中では麻生政権に対する批判が続出し、総選挙を念頭に置いた動きが活発化しています。一方民主党も、自民党の支持率の低さを追い風に、今度こそ政権交代をと、自民党批判を強め選挙対策に走っています。外から見ていると皆が浮き足だって見え、国民のための政治は何処に行ったのだろうと思ってしまいます。 もちろん情報は各マスコミを通してですから、偏向された報道も多いので実際はどうなのかということは本当には見えてきません。しかし、この不況の中で日本の政治も大きな転換点に来ている事だけは確かなようです。
 日本の国を愛する者として政治に対しても無関心ではおられません。真の政治家が現代にも起こされるように祈らなければなりません。身近な利権に振り回されたり、人の顔色を見て態度を決めたりするような政治屋的な政治家ではなく、日本の国を思い国民のための政治を志す政治家が求められています。正にそのために命をかけるほどの気概を持って戦う政治家が待たれているのではないでしょうか。自己保身ばかりに気を取られている間にどんどん日本は政治の後進国になってしまします。グローバル化、国際化の中で、世界の中の日本はどのように世界に貢献していくのか、明確なビジョンを示す政治家が求められているのです。


 以前、トムクルーズや渡辺謙が主演した映画『ラストサムライ』で再評価された日本の精神文化が「武士道」でした。何か武士道というと封建的で時代遅れのイメージがあり誤解をされて捉えられがちですが、本来の武士道というものはそうではなく、聖書の精神に共通するものが多いのです。そのことにいち早く気づき世界に最初に『武士道』精神を紹介したのが二人のキリスト者でした。一人は新渡戸稲造であり、もう一人は内村鑑三です。
 新渡戸稲造は、札幌農学校の二期生でキリスト者となり、後に国際連盟の事務次長となり、5千円札の肖像にもなっていることは周知の通りです。彼は日本の国際化に多大な貢献をした人でした。特に彼の英文で著した「武士道」という書物はあまりに有名で、セオドア・ルーズベルトはこの本を読んで感動し30冊を早速購入し世界の要人に配ったと言われているほどです。武士道の精神は「正義、誠実、思いやりの心、無私の精神」などであり、『信ずるものの為には命をかける』と言う生き方です。


 「I for Japan; Japan for the World; The World for Christ; And All for God.」( 我は日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、そして全ては神のため)こう言ったのは内村鑑三でした。新渡戸稲造同様、内村鑑三も札幌農学校の二期生として学び、キリスト者になりました。明治のキリスト教のリーダーとしてまた社会に最も影響力を与えた人として知らない人はいないでしょう。
彼はその著書「代表的日本人」の中で西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳など日本の代表的な人物を揚げ、誠実、正義、無私の精神を貫いた人物として世界に紹介をしました。当時は野蛮な国として一般的に評価されていなかった日本にも世界に誇れる精神文化や人物が存在することを伝えたかったのです。


 ジョン・F・ケネディは世界の最も尊敬する政治家は誰かと聞かれて「上杉鷹山」(米沢藩の藩主として 破産状態から産業復興や教育を通して藩を再生していった)と応えたという逸話が残っていますが、ケネディもこの内村鑑三の本を読み、深く感銘を受けた一人でした。
武士の子として生まれキリスト者となった内村鑑三は、武士道を真の意味で完成させたお方はイエスキリストであると思っていました。 内村鑑三は「二つのJ」を愛することを表明しています。ひとつは「Jesus(イエス)」でありもう一つは「Japan(日本)」です。彼はキリストに対する信仰によって、自分の使命を自覚し、イエスを愛し日本を愛しそのために命を捧げていきました。


 キリストの生き方と武士道の共通点はなんでしょうか。それは「死ぬこと」です。「葉隠(はがくれ)」という武士道を説いた書物に「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という有名な言葉があります。武士道の中心は「死ぬこと」だというのです。それは自殺の方法を考えるということではもちろんなくて、何に命をかけるかと言うことです。また、生きる目的を考えることでもあります。更には死ぬ気で全力で生きよということにも繋がります。


 キリストの生き方も「死ぬために来られた」と言うことが出来ます。イエスは自らの死をもって私たちに神の愛を示し、救いの道を開き、私たちへの生きるモデルとなってくださったのです。


また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。・・・ わたしが自分のいのちを再び得るために自分のいのちを捨てるからこそ、父はわたしを愛してくださいます。 だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。(ヨハネの福音書10:15-18)


人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
(ヨハネの福音書15:13)


「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
(マタイの福音書16:24-25)


Ⅰキリストは死をもって愛を示された。
キリストは死ぬ事を通して、神の愛を実践されました。イエスの愛は言葉以上のものです。それは「犠牲の愛(アガペー)」であり、命を与える愛です。命を投げ出すことによって神の熱い命懸けの愛を示してくださったのです。
私たちは愛という言葉に酔ってしまって、それを情緒的で感情的なものとして捉えているきらいはないでしょうか。また、愛されることを周りに求めすぎてはいないでしょうか。あるいは「これだけ愛しているのだから」「これだけやってあげているのだから」と相手に自分の愛を認めさせようとしたり、相手に見返りを求めすぎてはいないでしょうか。
イエスの愛は私たちの態度によって左右されるような条件付きの愛ではありませんでした。イエスの愛は力強い意志を伴った愛でした。相手がどのような反応をするかで愛の行為の出し入れが変わることはありませんでした。その愛に徹して行かれたのです。それは周りを変える大きな力となったのです。


Ⅱキリストは死をもって使命を果たされた。
 キリストは死に至るまでその使命を貫徹されました。自分の考えや願いに固執されず、ご自分を無にされて神の使命を果たされました。それが「自分に死ぬこと」なのです。十字架の死にまで従い通されたイエス。それは十字架で初めて表されたのではなく、生き方そのものが『自分に死に神に生きること』でした。
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。(ピリピ2:6-8)とある通りです。生きるとはいかに自分に死ぬかと言うことと言い換えることが出来るのはこの点にあるのです。
私たちは何と自分が生きていることでしょうか。不平や不満。嫉妬やうらやみ、周りに振り回されている自分を見いだしているなら、今自分にとって何が一番大切なことなのか、そのために集中しているかどうかを自己点検してみる必要があります。私たちを通して神が果たそうとしておられる使命を見いだし、それに全力投球するものになりたいと願わされます。私たちはそのために生かされているのです。


Ⅲキリストは死をもって復活された。
逆説的ですが、命を捨てることで命を得るのです。「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです」とあるとおりです。キリストは死を通して復活されました。死ななければ復活はなかったのです。キリストは十字架に架かられ三日目に蘇られました。同様に私たちも命をかける使命を見いだし、それに捧げて生きるとき、神は私たちにイエスに注がれたのと同じ復活の命を与えてくださるのです。命を削ることを惜しみ、犠牲を払わず、何もしなければ、後は朽ちていくのを待つばかりです。しかし、神の救いに預かり、神の使命に生き始めるとき、心は燃やされ、命を捧げて生きる事も惜しまない、ダイナミックな生き方が生み出されていくのです。私たちも日本を愛し、キリストを愛して生きるものとさせていただきましょう。変革の鍵を私たち一人一人が握っているのです。

いつも兄弟姉妹のお祈りに感謝をいたします。来る8月13,14日と日本福音宣教会の全国聖会が、兵庫県のたつの市の国民宿舎「志んぐ荘」で開催されます。年に一度の全国聖会です。今回は「キリストが内に生きている」という主題で開催されます。どうか皆様も検討くださり、ご参加されますようお勧めをいたします。詳しくはお問い合わせください。
兄弟姉妹の歩みの上に主の豊かな祝福がありますように覚えてお祈りをしております。また祈りのリクエストを遠慮なくお知らせください。神様の圧倒的な祝福が兄弟姉妹の上にありますように。祈りに答えてくださる主に心より感謝しつつ。

キリストのしもべ        西田育生

 

6月6日から約一週間ハワイチームが来日。 フラダンス教室や賛美などご奉仕くださる。


(株)ヨベルが発足し訪問介護事業が始まる。

アガペーホームヘルプサービスがスタート。 ステーション開所式の様子。

 

★ 浜松ホープチャペルの紹介 ★           林 隆晴

 

ハレルヤ!主の御名を賛美いたします。
10年前、愛知県豊橋市のご夫婦が揃って救われ、家庭集会始まりました。そのことがきっかけとなり、浜松ホープチャペルへと発展してきました。10年間いろいろな道を通されてきましたが、主に支えられ、
毎月1回、西田先生をお迎えし、主の御名によって集える恵みにあずかっています。

公共の施設を利用しての集会ですので時間的な制限がありますが、集会後はファミレスで食事をしながら交わり、各々の近況や証などを報告し合っています。

この交わりを通して、主が更なる兄弟姉妹を呼び寄せてくださり、新たな展開が起こることを期待しています。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

 

主にすがる我に悩みはなし  十字架のみもとに荷を降ろせば
恐れは変わりて祈りとなり   嘆きは変わりて歌となりぬ

歌いつつ歩まん ハレルヤハレルヤ 歌いつつ歩まん この世の旅路を

 

板屋町会館


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浜松アリーナ


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