「主がともにおられる」 シューミン・クオン師
どんな人生でも苦難困難が襲い、なぜ、どうして、と思います。そんな時どうしたらいいかを学びましょう。
私はサラリーマンを辞めて、香港経由でカンボジアへ宣教に行く予定でした。ところがカンボジアでクーデターが起き空港が乗っ取られてしまい香港で足止めをくらったのです。会社を辞めてカンボジアへ行くのは神の命令だったのにも関わらず、なぜこんなことが起こるのだろうか、神の御計画は何なのだろうか、「神様どうしてですか」と思い煩いました。また、私の若い頃、父はビジネスをやるセンスは無いし、家族みんなが反対したにもかかわらず、エビを捕る船を買い商売にチャレンジしたことがあります。私はその船に乗せてもらい、父と色々と話をする機会を得ました。それまではほとんど話をしたことはありませんでしたので父との関係を回復するとてもいい時がやってきました。ところが、ある時、電話がかかってきました。父が細々と声ともならない声で語りかけるのです。ほどなく父は心臓発作で亡くなりました。せっかくいい関係を築き上げられそうな矢先でした。この時もまた「神様なぜですか」と動揺し嘆きました。
聖書の中にも、次から次へとひどいことを体験した人がいます。それは創世記のヨセフです。ヨセフを語る前に父ヤコブのことを押さえておきましょう。ヤコブは双子でした。兄エソウが狩りから帰ってきた時、ヤコブはスープを作っていました。エソウがそのスープが飲みたいと言った時ヤコブは、長子の権利を譲るよう交換条件を出しました。そのようにヤコブにはずるい所があったのです。ある時叔父のラバンのところに厄介になることになりました。そこではレアとラケルという姉妹がいました。ヤコブはラケルに一目ぼれ。結婚したいとラバンに申し出ると7年間働いた後にならばいい、と承諾を得ます。ヤコブはそれを楽しみにしていたので7年間があっという間に過ぎました。そして迎えた結婚式。現代も地方によっては花嫁はベールで顔を隠す風習があります。当時も顔を見ることなく結婚式が進んだのでしょう。そして宴会。夜を共にしましたが朝になるとそこにいたのはラケルでなく姉のレアでした。叔父のラバンが言うには「姉より先に妹が結婚することはできない。あと7年働けばラケルと結婚してよい」と言います。ヤコブはラケルのことを思いながらあと7年間働きました。そしてめでたくラケルと結婚。しかしなかなか子供ができません。先に結婚したレアには4人生まれたので焦ったのでしょうか。ラケルは女奴隷に子供を生ませました。そうしているうちにラケル自身にもやっと授かりました。それがヨセフだったのです。
最愛の妻ラケルから生まれ、しかも年を取ってから生まれた子です。ヤコブはヨセフのことを溺愛しました。それが一つの原因だったのでしょうか。他の兄弟からヨセフは嫉妬され不満をいだき、意地悪をされるようになります。ただ、ヨセフにも悪い点があります。ある時夢を見ました。畑で束を束ねていたら「突然私の束が起き上がり…兄さんたちの束が周りに来て私の束を伏し拝んだのです。」(創37:7)という夢です。あるいは「また夢を見ました。みると太陽と月と11の星が私を伏し拝んでいました」(同37:9)という夢です。ヨセフがその夢を兄たちに自慢げに語ったのですが、そのことも感情を害したに違いありません。兄たちは結託して、ヨセフを殺そうとしましたが、結局、エジプトの奴隷になりました。この時もヨセフは なぜ、どうして、と思い悩みました。
カナンからエジプトへ向かうには、ヨセフは奴隷なので当然、徒歩で向かいます。その間、ヨセフの心は神によって変えられたのでしょう。「私は悪かったです、神様変えてください」と祈ったことでしょう。そんな時「主がヨセフとともにおられた…」(創39:2)と聖書にあります。エジプトに着いた時、王ポティファルのもとでヨセフは忠実に働くようになり信頼を得、家全体の管理を任されるまでになりました。ある時、無実の罪で牢獄へ入れられたのですが、その時も監獄の長はヨセフを信頼し、囚人の管理を任せました。主がともにおられたからです。人を恨み、妬み、怒っている人のところに、友人知人はそばにいたいと思うでしょうか。高慢な人がいた時、誰がそばにいたいと思うでしょうか。神も同様に、ともにいたいとは思わないでしょう。私が悪い、赦してくださいという謙虚な気持ちがある人のそばに、神はともにいて下さるのです。ヨセフはある時、王の夢を解き明かし7年の豊作と7年の飢饉の到来を予告しました。この予言を信じた王はヨセフを総理大臣に任命して国の行方を任せエジプトの全地に穀物を蓄える計画を実行し成功しました。主がともにおられたからです。
ヨセフの人生においてどんな時でも平安でいることそれが答でした。私の父に続いて弟も妻も亡くなりましたがこの頃にはすでに平安でした。ヨセフの話は私達の人生にも同様に起きます。新しい人生が展開します。人を赦し平安を得ることで、主がともにおられると信じましょう。