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現代に生きる新約

NO.863 2025.02.23

「ベテルに上れ」 創世記35章1節-3節  井上 圭 伝道師

 

今月はヤコブの人生の歩みから、神はどんなお方かなど多くのことを学んできました。今日はその最後です。
「ヤコブが目を上げると、見よ、エサウがやって来た。四百人の者が一緒であった。…ヤコブ゙は自ら先に立って進んだ。彼は兄に近づくまで七回ひれ伏した。」(創33:1-3)ヤボクの渡し場の出来事の後、ヤコブの心が砕かれ謙遜な者に変えられ、へりくだって七回エサウにひれ伏しました。それだけなく、エサウに対する恐れに囚われていたのに「恐れない人」に変えられました。そうなったのはヤボクの渡し場で神のみ顔(ペヌエル)を見て神を体験し、心に平安がもたらされたからです。新約聖書のステパノの記事(使徒7:55-56)にも神の愛によって恐れから解放された記事が書かれています。人生を歩んでいると恐れや不安に囚われることがあります。恐れや不安の中にあるとネガティブな思いに囚われてしまいます。そんな時こそ神のみ顔を見て神の臨在に触れることを求めていきましょう。そうすると恐れや不安が締め出され心に平安がおとずれます。
ヤコブは自らの変化と神の働きによってエサウと和解しましたが、セイルに一緒に帰ろうというエサウの申し出を断りました。ヤコブはどこに行ったのでしょうか。「一方、ヤコブはスコテへ移動し、そこで自分のために家を建て、家畜のためには小屋を作った。…カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。そして、天幕を張った野の一画を…買い取った。彼はそこで祭壇を築き、それをエル・エロへ・イスラエルと呼んだ。」(創33:17-20)神はヤコブに、初めに神と出会った場所に帰ることを願われていたのに、ヤコブは神のみ心ではなく自分の願った道を歩んでしまいました。この記事を読むと私たちは「なぜヤコブは神に従わないのだろう」と思ってしまいますが、それは私達の姿かもしれないのです。神はそんなヤコブに「…立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。…あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。…私たちは立ってベテルに上って行こう。わたしはそこに、苦難の日に私に答え、わたしが歩んだ道でともにいて下さった神に、祭壇を築こう。」(創35:1-3)自分の行きたい所に留まった身勝手なヤコブを神は非難せず、否定もしませんでした。それは、ヤコブに対する神の愛、神のご計画があったからです。「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創28:15)神は私たちとの約束を守る方です。私たちは神の導きとは違った道を選ぶ事がありますが、神は守って下さり忍耐強く神の計画された道へと私たちを連れ帰って下さいます。
立ってベテルに上りなさい、とは信仰の原点に帰りなさいということではないでしょうか。信仰の原点とは私達の中に自然に出てきた神への愛、感謝を告白した時です。イエスはエペソの教会に「初めの愛から離れてしまった。…悔い改めて初めの行いをしなさい…」(黙示2:4-5)とすすめておられます。私たちもベテルに上る者となって初めの愛に立ち帰りましょう。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。」(ヤコブ4:8) とあります。神の中に留まり続ける事が神の願いです。神に対する心のありようよりも自分の気分を優先していないかチェックしましょう。「…私は、すべてあなたが私に下さる物の十分の一を必ずあなたに捧げます。」(創28:21-22)とヤコブは誓願しました。神はヤコブの人生の中で忠実に約束を守られました。これからはヤコブが誓願を果たす番です。神は私達の祈り、告白を覚えていて下さいます。神は身勝手なヤコブを見捨てず「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。」(創35:1)と語られました。私たちの祈りや告白を神は覚えていて忠実さと誠実さで答えて下さいます。
ヤコブのように神の願う道からはずれて遠回りしてしまう事があっても、神は私達の告白を覚えていて下さり、ともに歩んで下さいます。「ベテルに上って」ご自分の祈った初めの約束を果たしていきましょう。

 

≪分かち合いのために≫

  1. あなたはベテルに上っていますか?それともスコテかシェケムにとどまっていますか?
  2. あなたが神様に誓った約束はありますか?その約束を果たしていますか?

 今日の暗唱聖句

 

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめな さい。二心の者たち。心を清めなさい。」(ヤコブの手紙4章8節)

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