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NO.019   2009.08.09

 ■“脱出の道”                   黒田 淳

 

 前回、本コラムに投稿させて頂いたときは、仮のいおりを得て、それを描写するに、
そこから見た白亜の都営住宅を描き込んだ。もちろんの事、どなたの記憶にも無いこととは思うが、私としては、その景色を見ながらの望んだ気持ちを、込めてあった。
そして今、抽選に当選した一室で、暮させて頂いている。その幸運は、差し迫った状況下、望み始めてわずか一年余りでの事でもあったから、不思議なことだったと思う。
アラカンに達し、第一線を退き、物書きに挑戦を始めた私は、僅かながらの年金を頼りに、読むに足る文章を書こうとしていた。
ところが、どんなに小さくてもお金のこと、「銭は握って見なければ分からない」と言う格言めいた言葉の通り、一寸だけその計算が狂った。そこで私は、遺跡を発掘するアルバイトを探し、一生懸命に働いた。しかしほとんど使ったことの無い筋肉を使う労働は、僅か一ヶ月で膝の靭帯を断裂せしめてしまった。
大変である。もう物書きどころの騒ぎではない。民間での家賃を払って月を越そうとすれば、日干しになってしまう。都営住宅当選の葉書を受け取ったのはそんな折だった。
嗚呼!、となると、「神は・・・。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」と、Ⅰコリント10章13節にある通りだったのだ。
それだけではない、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。」ヨハネ14章18節前段にある通り、今も私は夢を追い続け、不治ゆえにたまに引きずるが同後段にある「わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」とばかり文字通り御手に支えられ、かなり普通に歩いてさえいる。
更に、八月からは、あの時狂った計算が、是正される運びであり、身を守る為のスーツやネクタイを、外すことも赦される。

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