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NO.011   2009.02.01

 ■「人生の海の嵐に」    大阪ホープチャペル 野田 実

 

 人生の海の嵐にもまれきしこの身も 不思議なる神の手により   いのちびろいしぬ いとしずけき港につき 
われはいまやすろう 救い主イエスの手にある 身はいともやすし(聖歌472番)

と,言いますのも私は1976年6月病院のベットに臥せっていました。その前日の朝、救急車で運ばれたのです。いろいろと検査の結果「十二脂腸潰瘍」、それも手遅れ一応手術をしますとのこと、手術の結果について異議は申しませんという書類に署名捺印させられました。その夜不安と死の恐怖におののいていました。

 呆然自失の状態でボンヤリしていました。どれくらいの時間たったでしょうか、

「喜びなさい」という声が聞こえたような気がしました。
しばらくしてからはっきりした声で「喜びなさい」という声が聞こえたのです。
部屋を見回しても誰もいません。咄嗟に思ったのは「主」がいらっしゃるという思いでした。そこで私は言いました。主よとてもじゃないですが、到底そのような気になれませんと言いました。しかし主は言われました。「喜びなさい」と。私はふてくされて喜びの材料は何も持ち合わせていません。神様この現状を見てください、とても喜べません。

 それからしばらくして一つの思いが浮かんできました。それはいつか母親から聞いた出来事でした。父親が朝鮮鉄道に在勤中、線路の補修の業務に携わっており、ある鉄橋の補修工事を終えて最終点検に行ったそうです、(父はその班の監督だったので)その点検の最中貨物列車がきたそうです。高さ30メートル長さ50メール程の鉄橋で引き帰すのには間に合わないので、枕木にぶらさがり列車の通り過ぎるのを待ったそうです、しかし、失神してしまいぶら下がったまま、助け出された時は手が片方の手に食い込んでいたそうです。神様は私に喜ぶ方法を示されたのです。エレミヤ書1章5節「わたしは、あなたを胎内に形造るまえからあなたを知り・・・」それから主は次から次へと、あの時はこうでなかったか、この時はこうでなかったかといろいろなことを示されたのです。私は何時の間にか感謝に満たされ喜びに満たされていたのです。小さな喜びの積み重ねが大きな喜びに、小さな感謝の積み重ねが大きな感謝に変えられたのです。

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと   願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。(ピリピ 4 章 4 ~ 7 節)(新共同訳)

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