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NO.863 2025.03.02

「人知を越えた神の愛を土台とする」

 

「どうか御父が、その栄光の豊かさにしたがって、内なる人に働く御霊により、力をもってあなたがたを強めてくださいますように。信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」 (エペソ3:16-19)

 

パウロのエペソの教会員に対する祈りの言葉です。祈りの中でパウロは信仰の土台を明確に語ります。それはキリストの愛です。このキリストの愛に根ざし基礎を置くことを熱心に勧めながら、更にクリスチャンの神の愛に対する認識がよりいっそう深まる事を心から願って祈りをささげています。
キリストの愛の「広さ、長さ、高さ、深さ」がどれほどのものかを理解する事ができるように。また「人知をはるかに越えたキリストの愛」を深く知る事ができるように。この祈りこそ私たちのための祈りであることを覚えましょう。
キリストの愛はあなたが想像する以上にはるかに深く大きいのです。このキリストの深い憐れみに満ちた大きな愛に信頼をしていれば決して躓くことはありません。
なんと多くの人たちが、自分の欠点や失敗で神の愛を疑ってしまう事でしょう。こんなに失敗ばかりしているようなものを神など愛されない。そう決め付けてしまうのが弱い私たちです。それは私たちの生きている世界がいつも条件つきの愛だったからです。親の期待に応える子供は愛される。しかし、その期待に応えられないものは愛されない。そういう条件付けの中で生きているといつの間にか愛の欠乏症に陥ってしまい、神の救いさえ自分の思い込みで疑ってしまう事さえあるのです。
神の愛は決して条件付けの愛ではありません。無条件の無限の愛です。存在をあるがままで受けとめてくださっているのです。キリストの十字架の苦しみ、それは誰のためだったのでしょう。それは私やあなたの罪のためではなかったのでしょうか。ご自分の命をかけて私たちを愛してくださっている事をもう一度しっかりと自覚いたしましょう。私たちの失敗や、犯した罪によってキリストの十字架の救いが無効になってしまうほどキリストの愛は安っぽいものではありません。
誰がなんと言ってもあなたは愛されているのです。このことを確信し、何度失敗しても、神の前に立ち返ればよいのです。この愛によりすがることこそ真の平安と勝利の道なのです。
キリストの愛こそがあなたをこの世の誘惑をあなたから断ち切り、喜びと解放の人生へと導いてくださるのです。この神の愛に向かう時聖霊様が働かれるのです。
私たちの不完全さで神の愛を早急に量ることをやめましょう。弱い自分自身を神の愛の中にゆだね、しっかりと愛の充足をキリストにいただきましょう。
このキリストの愛と赦しにあなたの信仰をおいてください。キリストの満ち満ちた様にまで引き上げていただけるのです。(プレイバック 2002年週報6月2日『牧師館より』 西田育生牧師)

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