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NO.698  2022.01.02

「互いに愛し合う一年」

 

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
(Ⅰヨハネ4:11)

 

 新年明けましておめでとうございます。2022年が、愛する兄弟姉妹にとって、豊かに祝福された一年となりますように心よりお祈りしております。神様に期待して新しい一年をスタートしてまいりましょう。
この一年のテーマは「互いに愛し合う」ということです。その昔、日本にキリスト教が入ってきた時、宣教師たちは為政者たちに神様のことを紹介いたしました。そのとき「神様は愛です。」と伝えたのですが、それを聞いた人たちは顔を見合わせて、笑ったという逸話が残っています。当時の日本の人たちにとって、愛という概念は男女の間の愛ということぐらいしかありませんでした。ですから、宣教師たちが意図した神様の犠牲の愛は当初はなかなか伝わらず、いかがわしい宗教のように受け取られたようです。
言葉というものはとても大切です。まずはその本来の意味が十分に理解されることが求められます。次にその言葉を自分への言葉として受け取り、それを実践してこそ、私たちの血となり肉となっていくのです。
ヨハネは、「雷の子」(ボアネルゲ)というニックネームがつけられていました。おそらくそのあだ名のごとく、激しやすく、感情がしばしば爆発したのでしょう。自分のアイデンティティが当初は明確でなく、人の姿に影響を受けていたのかもしれません。しかし、彼は愛の人に変えられました。それはイエスキリストの十字架の愛に触れたからです。そうして彼の書いた福音書や手紙は愛の書と言われるほどに、神様の豊かな愛が記されており、その愛に生きることの恵みと祝福が記されているのです。
この一年の教会のテーマを「互いに愛し合う」ということにしたのは、神様の愛を受け取ることで私たちは変えられ、愛の人になることで神の愛が人々に伝わっていく。私たちの人生の豊かさも、福音を伝える宣教の使命も、その底辺であり、土台は一言でいえば、「愛し合う」ということの中に含まれるのです。
ヨハネは愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。」と語っています。彼は「神がこれほどまでに自分を愛してくださった」という愛を目の当たりにし、体験したのです。
多くの弟子たちが逃げていないとき、彼はイエスの十字架のもとにおり、イエスの十字架を見上げておりました。そうしてイエスの母マリヤをイエスの言葉に従って生涯面倒を見ることにいたしました。今までの彼からは想像できないことでした。イエス様の命がけの愛がヨハネを変えたのです。人と比較して自分を見ることもやめました。みな一人一人違うことがわかってきたからです。そうして、人々を愛していく生活の中にこそキリストへの愛の応答があることを見出していったのです。イエスが命を捨てられたほどに、家族を愛し、友を愛し、教会の兄弟姉妹を愛しているでしょうか。愛し合うということは生涯のテーマですが、特にこの一年、互いに愛し合うことに挑戦していこうではありませんか。神様の愛があなたの生活に流れていくようになります。2022年に期待して歩んでまいりましょう。

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